前回はBRTで気仙沼までやってきた。気仙沼線も好きな路線だが、やはりここから柳津まではBRTの運行だ。

気仙沼から鉄路の大船渡線で一ノ関まで向かう。

JR東日本の非電化路線と言えば何はなくともキハ100系気動車である。1990年代にこの車両が登場し山岳路線での劇的なスピードアップが可能になった。キハ20では喘ぎながら40km/hも出せない急勾配を60km/h近くでスイスイ登ってゆくのだ。
大船渡線

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一ノ関にはこの2両編成で向かう。
大船渡線

横に気仙沼線のBRT専用路が列ぶ。
大船渡線

大船渡線は気仙沼湾に注ぐ大川を上流の方に沿って遡上する。
大船渡線

新月。「にいつき」と読む。宮城県気仙沼市新月地区の駅名だが駅は岩手県一ノ関市にある。これは周囲に峡谷が多く駅を作れる場所がここになってしまったため。この駅から終点の一ノ関まで大船渡線は一ノ関市の中を走る。単式ホーム1面1線だが見れば明らかに相対式ホームが残っている。
大船渡線

折壁、矢越と停まって、小梨。ここも単式ホーム1面1線だが相対式の長いホームが残っている。
大船渡線

千厩(せんまや)。津軽線の終端、三厩(みんまや)を思い出す。ここまでほぼ西に向かっていた大船渡線はこの駅で右に90度曲がって北上し摺沢を目指す。
大船渡線

次の摺沢こそ「我田引鉄」の典型としてしばしば引き合いに出される駅である。政友会が圧力をかけた大迂回路なのだ。その張本人たちの胸像が摺沢駅前にある。故郷にとっては大恩人だったのだろう。
大船渡線

摺沢。駅手前で大船渡線は再び90度左に曲がる。この駅から次の柴宿まで西に進むのだ。摺沢は相対式ホーム2面2線。
大船渡線

柴宿まで西進したが、この駅を出ると大船渡線はまたもや90度左に折れて南下する。
大船渡線

築堤の上に単式ホーム1面1線の猊鼻渓はある。1986年(昭和61年)猊鼻渓観光のために開業した。有名な観光地なので猊鼻渓の名前は知っているがどのような場所なのか分からない。
大船渡線

陸中松川は大きな構内が広がる。かつては貨物駅としても、人口の多い旧東山町の最寄り駅として隆盛した。
大船渡線

岩ノ下を過ぎ、陸中門崎まで大船渡線は南下してきた。
大船渡線

陸中門崎を出て再度右に90度曲がって大船渡線は西に進み北上川を渡る。
大船渡線

真滝を過ぎ新幹線の下をくぐると東北本線と列んで一ノ関に到着する。
大船渡線

気仙沼から一ノ関まで62.0営業キロを80分かけて走ってきた。迂回しているために時間がかかってしまうのである。

岩手県出身の総理大臣原敬の率いる立憲政友会の圧力「我田引鉄」によって陸中門崎と千厩の間を直進せずにその3倍以上の距離を使って迂回し千厩に達する「鍋鉉(なべづる)」線、と陰口をたたかれてきた大船渡線だが、敷設された大正末年とは大きく時代が変わり、今や貨物も人の移動も鉄道に重きを置かない様になってしまった。

現在BRTで運行されている部分に再び線路が敷設される可能性は低いのかもしれない。残念だが、鉄道を失ったエリアの多くがさらに衰退していったことを考えると、個人的にはリニアに巨額を投じるよりも地方の閑散路線を維持する方が将来の日本にとっては遥かに貴重な財産になると思う。

※写真は全て筆者が2016年11月に撮影したものです

(写真・記事/住田至朗)