穴守さまの祟り【駅ぶら03】京浜急行121

2020.08.01

五十間鼻から多摩川上流の方を見ると、船溜まりが見えます。この辺りでは10年程前から天然のヤマトシジミが復活しているのでそれらを採る漁船でしょうか。この辺りのシジミは美味しいという噂です。筆者は、夏にシジミのキャムラーを作ってビールのアテにするのが大好物です。

こんなマップがありました。赤レンガの古い時代の堤防が残っている様です。見に行けばよかったかな。五十間鼻から天空橋駅は約500mです。

実はこの下をJR東日本(JR貨物)の東海道貨物線のトンネルがあることが左に掲出されています。大井埠頭の東京貨物ターミナル駅の南で地下に潜り大師線小島新田駅の東側、JR貨物川崎貨物駅で地上に出て鶴見で東海道本線に合流します。トンネルが作られたのは昭和45年(1970年)と記載されています。

弁天橋を渡ってから1時間ほど経っていますが、穴守稲荷神社の旧門前赤鳥居にはまだ高校生諸君がいました。撮影は諦めようかな、と思いながら歩いていたら、ようやく彼等が出発したので赤鳥居に行くことにしました。

赤鳥居に到着。

説明板がありました。字が小さいので内容を以下に写します。

この大鳥居は、穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その参道に寄付により建立されたと伝えられています。

その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物は全て取り壊されました。

しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免れて羽田の地に残され、往時を物語る唯一の建造物となりました。

米軍から、施設が日本に返還された昭和二十七年七月、東京国際空港として再出発した後も、この大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅に残され、羽田空港の大鳥居として航空旅客や空港に働く人々に親しまれました。また、歳月を重ね風雪に耐えた大鳥居は、進駐軍に強制退去された元住民の方々の「心のふるさと」として往時を偲ぶ象徴となりました。

昭和五十九年に着手された東京国際空港沖合展開事業により、滑走路や旅客ターミナルビル等の空港施設が沖合地区に移設され、大鳥居も新B滑走路の整備の障害となることから、撤去を余儀なくされることとなりました。

しかしながら、元住民だった多くの方々から大鳥居を残してほしいとの声が日増しに強まり、平成十一年二月、国と空港関係企業の協力の下で、この地に移設されたものです。

ここに関係各位に謝意を表するとともに、この大鳥居が地域と空港の共生のシンボルとして末永く親しまれることを念願する次第です。

これが「伝説の赤鳥居」です。「平和」という扁額がかけられています。

脇に、大化十二年(1815年)に羽田村沖の干潟が水田開発で干拓されたことが書かれていました。羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の町が誕生したのです。元々、この辺りは多摩川河口の低湿地で、扇浦、要島といわれてきました。天明年間(1781年から1789年)に、羽田猟師町の名主鈴木弥五右衛門が新田を開発したので、「鈴木新田」と呼ばれたのです。

弁天橋を渡らずに天空橋駅に戻ることもできますが、こちらから戻ります。

弁天橋には江戸時代の羽田で盛んに行われていた海苔の養殖のことが描かれていました。

次回は羽田空港国際線ターミナル駅(現・羽田空港第3ターミナル駅)に降り立ちます。

【駅ぶら03】京浜急行122 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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