※2020年8月撮影

トップ画像は、山陰本線玉江駅。瓦屋根ではなくトタン葺きです。この駅舎も逆光でした。

玉江駅は、山口県道64号線に面しています。

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※2020年8月撮影

本屋の屋根がトタン葺きなのに出入口の庇は瓦葺きです。駅舎には左右に縦長のデザインされたユニークな窓が二ヵ所設けられています。

※2020年8月撮影

駅出入口。建物財産標がありました。「鉄 本屋1号 玉江駅 昭和15年3月30日」と記されています。駅舎は建て替えられた二代目です。

アルミサッシの引き戸は2010年(平成22年)自動車が飛び込んで破壊された後に交換されたものでしょう。引き戸の両側に装飾的にタイルが填め込まれています。妙にディテールに凝った処理があるのです。左の黒い板には「鉄道の父 井上勝」。

※2020年8月撮影

内容は以下です。文字のかすれて読めない部分は筆者が適当に想像して補っています。

天保14年(1843年)萩藩士・井上勝行の三男として萩で出生。文久3年(1863年)伊藤博文ら5人とともに上海に渡航。同年9月ロンドンに遊学し鉱山学及び鉄道の実業を研究して明治元年帰国。明治4年鉱山頭兼鉄道頭になり、以後、鉄道局長、工部大輔、鉄道庁長官などを歴任。この間、わが国初めての鉄道新橋~横浜間を開通させたのをはじめ、神戸~大津間、東海道線などの建設工事を陣頭に立って指揮監督。とりわけ京都~大津間の建設には初めて日本人だけの手で工事を完成させ わが国の鉄道技術自立の契機となった。鉄道院顧問となり欧州鉄道視察中のロンドンで持病の腎臓病が悪化し客死。享年68歳。

井上勝は、この案内板の内容以外にも大阪で汽車製造合資会社を設立、これが現在の川崎重工業車両カンパニーに発展してゆくのです。帝国鉄道協会の会長も務めたので確かに「鉄道の父」ですね。

萩駅前には銅像がありますが、この時は萩駅の撮影をウッカリしてトバしています。

※2020年8月撮影

玉江駅は、1925年(大正14年)日本国有鉄道の美禰線(当時)の駅として開業。1933年(昭和8年)美禰線の一部区間が山陰本線に編入されてその所属駅になります。1963年(昭和38年)貨物取扱が廃止。国鉄分割民営化でJR西日本の駅になり、時期は不祥ですが無人化されています。

サッシ窓などに交換されています。モルタル塗装なども改修によるものでしょう。駅舎は古びてはいません。

※2020年8月撮影

駅前の眺め。真っ直ぐ行くと橋本川です。

※2020年8月撮影

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。

(写真・文章/住田至朗)