※2020年8月撮影

トップ画像は、山陰本線岩美駅。久しぶりに赤い屋根瓦の美しい木造駅舎。残念なのは駅出入口の切妻と庇がトタン葺き。

この駅にも黄色いUD(Universal design)タクシー、日本交通と表示されています。「桜にNのマークの日本交通」というTVCMを子供の頃に見た記憶があります。日本最大のタクシー会社で神戸営業所もありますが、この日本交通は大阪に本社のある同名の別企業でした。

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山陰本線を敷設するにあたって、鳥取駅から建設費の安い海岸線を東に向かうルートが計画されましたが、岩井村は旧山陰道に沿って岩井温泉を通り但馬に向かうルートを陳情。結局岩井村と海岸ルートの浦富村との中間に駅が作られ駅名でも揉めましたが当時の桂首相によって岩美駅と命名されました。

駅前は鳥取県道164号線。

※2020年8月撮影

1910年(明治43年)国有鉄道山陰本線終端駅として開業。翌年には浜坂駅まで延伸。1926年(大正15年)岩井町営軌道開業。

この鉄道が中途半端な位置にできた岩美駅と当時は山陰で最も人気のあった岩井温泉(鳥取県内の宿泊客の半分を占めた)、さらにその先の荒金鉱山で採れた銅鉱石を運んだのです。岩井温泉、最盛期には旅館が10数軒、芸者が30人いたそうです。

しかし、県内外に温泉が開発され集客力が低下、鉱山も自然災害などで尻つぼみになって1944年(昭和19年)に休止、実質的な廃業でした。当時の町長が相談した相手が大阪鉄道局局長だった佐藤栄作(後の首相)というのが不思議な巡り合わせです。岩井町営軌道廃止は1964年(昭和39年)。

1954年(昭和29年)には駅名から新たに岩美町が成立します。1975年(昭和50年)貨物取扱廃止。国鉄分割民営化でJR西日本の駅になり時期は分かりませんが無人駅になっています。

駅出入口。建物財産標がありました。明治42年11月。1910年(明治43年)に駅が開業する前年に駅舎が竣工。駅舎内に掲出されていた岩美駅開業百周年記念事業実行委員会・岩美町作成の「岩美駅百年の歩み」の記載通りです。

※2020年8月撮影

北寄りから。はかま腰屋根に「JR鬼瓦」があります。19駅目、赤瓦は4駅目です。

※2020年8月撮影

駅舎前には大きく育った木々があります。

※2020年8月撮影

反対の南側。県道はカーブしていてその南に駅前ロータリーがあります。

※2020年8月撮影

日本交通の路線バスが来ました。

※2020年8月撮影

南から駅舎アップ。「JR鬼瓦」がよく見えます。

※2020年8月撮影

最後に「JR鬼瓦」のどアップ。この駅のものは青瓦と同じ構造です。

※2020年8月撮影

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。

(写真・文章/住田至朗)