※2021年12月撮影

トップ画像は、紀勢本線岩代駅。完全な逆光でした。右側に桜の老木があるのでその枝の影で陽光を避けて撮りました。

岩代駅は南部駅の和歌山側のお隣駅。相対式ホーム2面2線で和歌山方面ホームに降りたちました。構内跨線橋で新宮方面ホーム側に渡ると木造駅舎があります。

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もう少し下の枝で陽光を遮ることができました。建物財産標がありました。記載は1931年(昭和6年)9月。駅の開業時です。

※2021年12月撮影

駅舎の西側に別棟のトイレがあります。

※2021年12月撮影

駅舎の東側には「JR西日本 岩代変電所」が建っています。昭和6年に建てられた駅舎に比べると鉄筋コンクリートのシンプルなハコです。

※2021年12月撮影

陽光を遮ることができれば駅舎を撮ります。東側から。駅舎の右がキレイなトイレ。

※2021年12月撮影

実は左の電信柱の影から撮っています。駅前に赤い鳥居。

※2021年12月撮影

「妙一稲荷」という扁額がかかっていました。右は「みなべ町熊野古道」の案内。

※2021年12月撮影

古道案内看板の裏側に石碑がたっていました。「結松古跡ハ岩代驛ヨリ西へ約三丁 岩代村長」と刻まれていました。岩代村は、1889年(明治22年)町村制施行で誕生。1954年(昭和29年)南部町(現・みなべ町)に編入されて村は廃止されています。丁は、距離の単位で約109m。「岩代の結松」を地図で調べると国道42号線を西に行ったところです。5~600m離れています。

※2021年12月撮影

結松古跡は、万葉集巻二に「磐代の浜松が枝を引き結び 真幸くあらばまた還り見む 家にあらば笥(け)に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る」を残した孝徳天皇の皇子有間が謀反の罪に問われ護送された途次に岩代で松の枝を結んで地神に自らの無事を祈願して歌を詠んだ場所です。

皇子は祈り空しく中大兄皇子の訊問を受け藤白坂で絞首刑になっています。享年19歳。有間皇子を哀悼する歌を山上憶良、柿本人麻呂などが残しましたが「岩代の結び松」がキーワードになっています。

駅出入口。逆光がモロに分かります。

※2021年12月撮影

駅前に岩代薬店がありますが既に商いはしていません。お婆さんが店内に置かれた椅子で編み物をしていました。真っ直ぐ100m程で国道42号線に出ます。左の桜の木の影からトップ画像を撮っています。

※2021年12月撮影

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影させていただいています。

(写真・文章/住田至朗)