C12 287 と手書きの形式・号車番号、白く塗られた逆転機周辺やロッド類。

日本車輌製造で1947(昭和22)年に生まれたC12形蒸気機関車287が、70年を過ぎたいまも解体を免れてこうして残っている。

C12形は、規格の低い線区での使用を前提に、軸重11トン以下となるよう設計された蒸気機関車で、1932(昭和7)年から1947年にかけて293両が製造された。

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ここにいる C12 287 は、製造を終える年につくられた最終モデルで、現存するC12のなかでも最も後発の釜といえる。

日本車輌製造を出ると、活躍の場はほぼ九州に定着。

後藤寺機関区(福岡県田川市)を皮切りに、門司機関区、鹿児島機関区、南延岡機関区と渡り歩き、後藤寺線・指宿枕崎線・高千穂線など、124万3398kmを駆け走って1974(昭和49)年に廃車に。

後ろへまわって「あれ?」と思う、石炭を積む炭庫の壁が通常より高くなっていたり、テールランプ(後部標識灯)が左右に埋め込まれていたり、バック運転用ヘッドライトの両脇に妙な穴が開いていたり……。

こうした独特の表情は、九州で活躍した蒸気機関車の特徴のひとつ。

気温の高い九州を行くC12には、こうした高い炭庫枠でバック運転時に機関室に自然風が入ってこないのを考慮し、エアインテーク(ベンチレータ/通風口)を設置していた。

―――この九州独特の装備がつく C12 287 。どこにいるかというと、なんと千葉県君津市。久留里線の無人駅 小櫃 の駅裏、小櫃公民館の駐車場脇にある。

縁もゆかりもないこの千葉に、「同形式の蒸気機関車が久留里線を走っていたから」という想いで、遠路はるばるここ千葉・君津の山間の街にやってきたという。