※2022年6月撮影

トップ画像は、勝田台駅から北西に700mほどの下市場1丁目のボンデン塚。筆者は黒沢池近隣公園から南西に歩いてきました。

千葉県では、この「羽黒山・月山・湯殿山」と出羽三山の名前を刻んだ石碑を多く見かけます。千葉県立中央博物館の「梵天にみる房総の出羽三山信仰」などを参照すると

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「千葉県は、全国的に見てもとりわけ出羽三山への信仰が盛んな地域として知られており、「男は一生に一度は三山(サンヤマ)に行くもの」という意識が根強くあります。〈中略〉塚に並ぶ石碑には、その地域の出羽三山登拝の歴史が刻まれているのです。」

また、八千代市観光協会の「八千代の歴史遺産散歩」には以下の様に書かれています。

「小高く築かれた塚は「出羽三山信仰」に基づく供養塚で、神のよりしろの梵天を立てることからボンデン塚と言われる。」

「西側一角に庚申塔、十九夜塔などが集められているが、南隣の阿弥陀堂の境内にあったものが、お堂の取り壊しで、ここに移されたもの。」

※2022年6月撮影

庚申塔が好きな筆者は、この庚申塔を見に来ました。一番手前の石塔には「文政二年(1819年)」の文字が読めます。隣の青面金剛が足下に邪鬼を踏みつけている碑の年号は分かりません。その奥、文字の庚申塔には「元治元年(1864-5年)」。奥の二十三夜塔には「天保六年(1836年)」と刻まれています。

電灯のない時代、闇の中で人々は月を拝み、経を唱え、飲食を共にして悪霊を追い払ったのです。

※2022年6月撮影

さらに小さな塔が集められていました。十九夜講塔なのか如意輪観音像が多いです。

※2022年6月撮影

南側、坂の下の阿弥陀堂跡です。

※2022年6月撮影

八千代市観光協会の「八千代の歴史遺産散歩」の続きです。

「阿弥陀堂の跡を偲ぶものとしては唯一、表に「南無阿弥陀仏」裏に「三界萬霊」と刻まれた大きな念仏供養塔がある。「壹挺切念仏講」が延宝6年(1678)に回向のために建てた全国的にも珍しい念仏塔である。」表に「壹挺切念仏講」「延宝六年」の文字が読めます。

※2022年6月撮影

壹挺切(いっちょうぎり)念仏とは、「1本のロウソクが燃え尽きるまで念仏を唱える」という意味の様です。

阿弥陀堂跡から南に50mほどで国道296号線成田街道に出ます。国道の南側に八坂神社があります。

※2022年6月撮影

境内にならんでいた「女人講」「子安講」の石塔。

※2022年6月撮影

講は、江戸時代から続く地域や信仰を同じくする人々で構成される組織です。「女人講」「子安講」は、既婚女性の相互扶助の集まり。安産を願い、無事な子育てを願ったのです。

境内には多くの石塔が並んでいました。左端は、子安観音ですが、中央の石塔「×元宮」の×の部分が読めません。村の講中であることは分かります。右手前は「稲荷神社」、奥は分かりません。

それでもこの地域に住んだ人たちの切な願いが形としてこうして残っています。

※2022年6月撮影

八坂神社の前から勝田台駅に向かって成田街道を東に歩きます。

※2022年6月撮影

駅も近い様です。

※2022年6月撮影

神社から500mほどで駅に帰ってきました。

※2022年6月撮影

では次の駅に向かいましょう。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。