※2022年6月撮影

トップ画像、肝試しコースを抜け出して、ようやく根古谷の集落に出ました。明るいので嬉しくなります。

田圃が拡がっています。

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※2022年6月撮影

妙見神社参道入口に酒々井町教育委員会 生涯学習課 文化財班の「根古谷の館・城跡鳥瞰図」があります。

※2022年6月撮影

以下の内容が書かれていました。

「根古谷の館の前には、本佐倉城跡全景のイラスト鳥瞰図の看板が建っています。〈中略〉現在は水田のこの場所は以前は中池と呼ばれる池が存在し、その中には中島があり、弁天様が祭られていました。戦国時代当時には城内部の貴重な水源となっていたでしょう。現在の弁天社は根古谷館の脇にあります。」

その横に大きな「国史跡本佐倉城跡」の案内。

※2022年6月撮影

本佐倉城について知らないので写します。

「本佐倉城跡は、下総守護千葉氏が文明年間(1469~1486)に築城し天正18年(1590)まで約100年にわたり、関東有数の大名千葉氏の居城でした。城は、印旛浦に面する標高約36mの台地上に築かれ、東西約700m、南北約800m、面積35万㎡におよぶ城域の中に10の郭をもつ巨大城郭です。内郭群(1~7郭)と外郭群(8-10郭)によって構成されます。築城当時は内郭群の一部分程度の規模であったと考えられ、現在に残る城郭は戦国時代末期の最も発達した姿です。

城の構造は、千葉県北部に広がる北総台地の特徴である、台地とその奥深くまで谷津が入る複雑に入り組んだ地形を利用し、台地を削り谷を埋め、空堀や土塁を巧みに配し郭を作った「土の城」です。

本佐倉城跡は現在に残る貴重な文化財として平成10年9月11日に国の史跡に指定されました。」

その隣の「国史跡本佐倉城跡全体図」。

※2022年6月撮影

開発の手がほとんど入っていないというのが貴重です。

根古谷館に来ました。上の案内板は黄色い矢印です。その上に妙見社の鳥居があります。

※2022年6月撮影

脇の弁天様。

※2022年6月撮影

「本佐倉城跡鳥瞰図」

※2022年6月撮影

上の写真にあった看板はすっかり植物に囲まれていました。

※2022年6月撮影

「国史本佐倉城跡案内所」の方に城内郭跡の周囲を歩きます。

※2022年6月撮影

「酒の井の碑」の案内。

※2022年6月撮影

その下のマップ。

※2022年6月撮影

赤線が歩いてきた跡、黄色はこれから歩くルートです。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。