九州2番目の長崎線

鳥栖―佐賀―長崎・佐世保間の鉄道路線図と開業年(資料:国鉄九州総局が1972年ごろに発行したパンフレットから)

鳥栖で鹿児島線から分岐する長崎線は、鹿児島線門司―熊本間に続いて、九州の鉄道で2番目に工事が始まりました。

理由は、長崎県に長崎港と佐世保港という2つの重要港があったから。鳥栖―佐賀間は、九州の鉄道開業から2年後の1891年に開業。その後徐々に線路を延ばし、1898年には佐世保まで開通しました。

鳥栖―長崎間の開業は、佐世保開通と同じ1898年ですが、開業月は佐世保が1月、長崎が11月。県都の長崎に先行して佐世保が開業しました。

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ちなみに、当初の長崎行き列車は、鳥栖―佐賀―山口(後に肥前山口に改称、2022年の西九州新幹線開業に合わせて江北へと改称されました)―早岐(はいき)―長崎の内陸を経由。このルートが最初の長崎線でした。

長崎の鉄道史をもう一つ、開業時の長崎駅は今の浦上駅でした。7年後の1905年に鉄道が長崎市中心部に延伸されると、駅名を新しい長崎駅に譲って、浦上に駅名変更されました。

有明海ルートが長崎線に

長崎の鉄道物語は続きます。肥前山口(現:江北)―諫早間を短絡する有明海沿いのルートは1934年に開通。建設時は有明線を名乗っていた有明海ルートが長崎線に。内陸ルートは肥前山口―佐世保間が佐世保線、早岐―諫早間が大村線になりました。

九州で最も有名な海の見える駅・JR大村線千綿駅。昭和の面影を残す木造駅舎で、郷愁を誘います(写真:ゆう / PIXTA)

肥前山口―諫早間は有明海ルートが60.8キロ、内陸ルートが87.5キロで、30キロ近く距離が短縮されたほか、海岸ルートはこう配が少なく時間短縮が図られました。

ヒストリーのラストは、長崎に入る喜々津―浦上間。ここは内陸部の新線と、大浦湾沿いの旧線のダブルルートです。海岸沿いでカーブ連続の旧線に対し、1972年開業の新線は山中をトンネルで抜けて直線状に結びます。

しかし、旧線は眺めのいい大村湾沿いを走ります。新線が開業しても、そして西九州新幹線が開業しても、お目当ては旧線という鉄道ファンの方、いらっしゃるかもしれませんね。