複線化できる敷地が確保されている【私鉄に乗ろう93】山陽電車 その4

2019.09.10

夢前川を渡ります。その向こうはすぐに駅です。

西飾磨駅から1.2kmで夢前川(ゆめさきがわ)駅。ここも相対式ホーム2面2線で列車交換できます。

下りホームはカーブに沿っています。上りホームも変則的なカーブです。勾配標がありますが、かすれていて「7」なのか「2」なのか判然としません。

駅名標。上りホームの向こう側は低くなっていて高架駅の様な雰囲気です。1940年(昭和15年)網干線開業時の終端駅として設置されました。同じ年に網干線は日鉄前(現・広畑)駅まで延伸開業され途中駅になりました。1957年(昭和32年)交換設備設置。1969年(昭和44年)駅舎改築。

かつては新日鐵の社宅などがあって利用者が多かったそうですが、1980年代に取り壊されて乗降人員が減少しました。1960年代には乗車人員が約7500人/日でしたが、1990年代には千人を割り込んでしまいました。(山陽電車調べ)

その後、跡地に大型ショッピングモールなどが作られた他、大きな病院もあってその利用者が乗車人員のメインになっています。

ここからは、地上を真っ直ぐ進みます。

目立つ跨線橋が眼に飛び込んできました。1.1kmで広畑駅です。下りが1線スルーになっています

ホーム上屋の色が上りと下りで違っています。

駅名標。1940年(昭和15年)網干線の仮の終点「日鉄前駅」として開業。1941年(昭和16年)網干線が電鉄天満(現・山陽天満)まで延伸され、現在地に移設され広畑駅となりました。

駅の海(南)側には広大な新日鐵住金の工場群が広がっていますが、隣の夢前川駅に社宅があった時代は多くの利用者がいましたが、現在は平均乗車人員が1610人/日(2008年 山陽電車調べ)。

部分的に、ですが何となく複線化できる敷地が確保されている雰囲気です。駐車場になっている場所も眼につきます。

子供の頃からの印象を裏切らず、川が多いエリアです。汐入川鉄橋を渡ると山陽天満駅。広畑駅からは0.9km。

沿線に工業地帯が広がっていたことが歴史からも分かりますが、工場も昨今の省力化で多くの人間を必要としなくなったのでしょうか。

そー言えば小学校2年生〜大学2年生まで住んでいた井の頭線の久我山駅には電電公社時代、電話機が自由化される以前の黒電話などを作っていた岩崎通信機という大きな会社・工場がありました。小学校の低学年の頃は、工場の労働者専用社宅がたくさん並んでいて、同級生などもいっぱい住んでいました。しかし、いつの間にか公団アパートに建て替えられて、岩崎通信機の工場も自動化されたのか急速に通勤する人が減ったことを思い出しました。

最近は滅多に久我山に行くこともないのですが、昔は大きな体育館や岩通生協などもありました。何よりも集団就職で来た女子専用の夜間女子高校まで用意されていたのです。今は全て無くなってしまいました。岩崎通信機の近所にあった飲食店街も消えてしまった様です。

山陽電車の場合は新日鐵住金の工場だったのですが、同じ経緯で専用の社宅がなくなって工場に通う人が激減した様です。

1960年代の風景を懐かしく感じる所以ですね。

では、【私鉄に乗ろう93】山陽電車 その5 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

TAGS 山陽電鉄


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