トップ画像は、三沢駅を出て、次の小川原駅にさしかかったところ。

駅は、有名な汽水湖小川原湖(おがわらこ)の南にありますが、駅名は「こがわら」です。

※2024年8月25日撮影

快速列車の次の停車駅は、三沢駅から10.5kmで上北町駅。

※2024年8月25日撮影

かつての東北本線で蒸気機関車が長大な客車を引いていた頃を想起させる長大なホーム。

※2024年8月25日撮影

列車交換するのは、八戸行青い森703系電車2両編成です。

※2024年8月25日撮影

この駅の駅舎もシックで魅力のある木造駅舎です。

※2024年8月25日撮影

駅名標。この駅も明治時代に開業した古い駅です。現在は無人駅です。

※2024年8月25日撮影

西に10kmほどで東北新幹線の七戸十和田駅と七戸町の中心部があります。2002年(平成14年)に廃止された南部縦貫鉄道が旧七戸駅と野辺地駅との間を結んでいました。元の七戸駅舎には南部縦貫株式会社の本社があります(※2004年に南部縦貫鉄道から南部縦貫へ商号変更を行っています)。個人的に訪問したい駅舎です。

上北町駅を出発して小川原湖に流れ込む高瀬川を渡りますが、ここからスラブ軌道になります。

※2024年8月25日撮影

曲線の優美なトラスがあります。

※2024年8月25日撮影

上北町駅から6.9kmで乙供(おっとも)駅。

※2024年8月25日撮影

駅を通過します。ここの木造駅舎も撮影したいと思っています。青い森鉄道再訪計画をたてます。

※2024年8月25日撮影

河川の名前は分かりませんが鉄橋を渡ります。
注:青い森鉄道の方に確認したところ、「千曳(ちびき)川」というそうです。

※2024年8月25日撮影

JR貨物の貨物列車とすれ違います。青い森鉄道線は、旧東北本線です。青函トンネル経由で本州と北海道を結ぶ物流の幹線ルートなのです。この後青い森鉄道線は大きく左(西)に90度方向を換えます。

※2024年8月25日撮影

乙供駅から6.6kmで千曳駅。

※2024年8月25日撮影

快速列車は、千曳駅を通過します。

※2024年8月25日撮影

地図で見ると駅周辺に建物はほとんどありません。

1968年(昭和43年)に東北本線が複線化・電化の線路改良を行った際に、乙供駅~野辺地駅間の線路付け替えが行われました。その際に千曳駅は、2kmほど東の現在地に移転されました。

その際に元の千曳駅は西千曳駅として南部縦貫鉄道に引き継がれ、南部縦貫鉄道は元の東北本線の線路を活かして野辺地駅まで延伸開業しています。

千曳駅から6.4kmで野辺地駅です。左に特徴的な鉄道防雪林があります。

※2024年8月25日撮影

ここで突然、コンパクト・デジタルカメラが不調になりました。原因は不明ですが、電源が入らなくなりました。それで野辺地駅へのアクセスが撮影できませんでした。

16時前に野辺地駅2番ホームに到着。しばらく電源をオフにしていたらコンパクト・デジタルカメラは復活。長年使用していますが、この様な不具合は初めてでした。

筆者は重いトランクを持ってヒ~ヒ~言いながら跨線橋に登りました。乗り換える青い森鉄道青森行は、4番ホームなので、トランクを跨線橋の奥に置いておくことにしました。着替えが詰まっているダケなのです。正面に小さく見えるオレンジ色がクソ重いトランクです。

※2024年8月25日撮影

野辺地駅正面。

※2024年8月25日撮影

2019年(令和元年)4月に野辺地駅に来たときの写真。4月9日でしたが雪です。

※2019年4月撮影

こちらは青い森鉄道移管以前、2009年(平成21年)9月の野辺地駅。筆者が、青春18きっぷで全国を鉄道でまわり始めた頃でした。

※2009年9月撮影

古い写真ですが、その鉄道旅では、下北駅から恐山に行きました。鉄道旅で観光をしたのは、たぶんこれが最初で最後。その後の鉄道旅は、ひたすら鉄道に乗っているダケ。(笑)

※2009年9月撮影

その旅で、2001年(平成13年)に廃止された大畑線の終点大畑駅が故郷だという若い番組ADと偶然八戸の居酒屋で同席して楽しく話しました。彼は東京キー局の社員で、一人番組のロケハンに来ていたのです。筆者が下北に行くと話したら、廃止された大畑線が下北駅から出ていたコトや大畑線の思い出を話してくれました。

終点の大湊駅も訪問しました。

※2009年9月撮影

2019年4月は、大湊駅前のビジネスホテルに宿泊。翌朝の大湊駅です。4月9日の雪。

※2019年4月撮影

次回も野辺地駅です。何とお祭りの山車に出会います。

(文・写真) 住田至朗

※青い森鉄道の許可をいただいて撮影しています。

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。