吞み鉄、ひとり旅  芦原伸

まず、お酒が嫌いだ、という人には勧められない本かもしれない。(笑)

ところで、言うまでも無く旅は移動とは違う。

A点からB点に速く快適に移動することは重要だが、旅とはその移動の過程そのものをも楽しむことでもある。必ずしも速くて快適であるとは限らない。むしろ、時間が経って思い出となるのはどちらかと言えば辛かったり、途方にくれたりした旅の方だ。今、ここに居るということは何らかの解決を見つけ出したのだ、そのプロセスがしっかりと旅を記憶に焼き付ける。新幹線で出張したことなど何百回あっても全く覚えていない。

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用事はないが鉄道に乗りたい、という理由だけで阿房列車の旅を楽しんだ内田百鬼園。用事がないのだから往きは一等車に乗る。帰路は「帰るという大事な用事」があるので三等車で構わない。何とも不思議な先生らしい理屈だ。

まぁ、阿房列車の目的はその道中にあるので、着いた場所に百閒先生はほとんど頓着しない。観光地に案内されても迷惑顔をするだけなのだ。旅館で何もせずにぼんやり過ごしたり、夕方からヒマラヤ山系氏(や教え子という呼び方を嫌った先生は”昔の学生”と呼ぶのだが)とゆっくり一献することが何よりの楽しみであった。

暗誦できるくらい何度も読んでいるが、やはり阿房列車は面白い。

さて、この本の著者芦原伸さんはそこまで極端ではない。ごく普通に列車旅を楽しみ、ポケットのウイスキーの小瓶と語らいながら車窓を愛でる。そして観光地というよりも、絵はがきにはならない様な風景、辿り着いた地方の空気を身体で呼吸し、温泉につかり、地元の肴で地酒を酌む。

これが良いのである。ミシュランの星などとは無縁な、鄙びたローカルな居酒屋で、決して派手な人生を送っているワケではない人たちと閑かに暖かい酒を吞む。

芦原さんは団塊世代だ。高度成長、ヴェトナム戦争、東西冷戦、安保、学生運動など波乱に満ちた60年代に青春を送った世代である。学生時代を北海道で過ごし、鉄道ジャーナルの記者となり全国の鉄道を訪ねた芦原伸さんは、その後フリーランスになって、やはり紀行文を多く書いてきた。

その芦原伸さんが60代になって、ウイスキーのポケット瓶を片手にノンビリと鈍行列車に乗り、気のむいた駅で降りて・・・、というリラックスした紀行がこの本には描かれている。しかし、旅に生きた松尾芭蕉が、頻繁に参照されたり、青春時代に乗ったが今は廃止されてしまった鉄道の跡を訪ねたり、実際に乗っている現在の車窓だけではない、記憶を参照するという正に「旅の醍醐味」も描かれる。

もちろん、鉄道の旅ならではの相棒、ウイスキーのポケット瓶が時にはヒリヒリと傷口の開く記憶を、茫洋と優しく包み込み淡い車窓に溶け込ませてゆく。この微妙な呼吸が美しい。

ふと、開高健氏がエッセイで書いていた「玩物喪志」という言葉を思い出してしまう。鉄道を愛する心性にはどこかしら「無用なものを過度に好み、本来の志(こころざし)を見失ってしまう」様なところがあるのかもしれない。しかし、志は上昇志向だけではないし、安楽さの追求でもない。鉄道に揺られて昧爽の車窓に自分を覗き込む、それもまた旅という名の志なのだ。(屁理屈)

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さて、この本、紀行はそれぞれの路線を四季に分けて訪れている。その選択がまた心憎いばかりなのだ。

春 磐越東線 吾妻線 上田電鉄 土佐くろしお鉄道

夏 根室本線 花咲線 秋田内陸縦貫鉄道 上信電鉄 若桜鉄道 一畑電車

秋 石勝線夕張支線 旧岩泉線 米坂線 京丹後鉄道 三角線

冬 津軽鉄道 釜石線 えちぜん鉄道 湖西線・北陸本線 南阿蘇鉄道

ハッキリ言って個人的にも好きな路線が列ぶので嬉しくなってしまう。

同じ様に記憶を参照しながらこれらの紀行を読んでいると、こちらも微醺を帯びたくなって困った。(笑)

そして、また車窓が見たくなる。再訪したくなるのだ。初めて訪れる場所も興味深いが、何度も行って、風景や空気の匂いが懐かしく感じられる場所も良いものだ。鉄道の旅は本当に良いものだ。

お酒がお好きで、鉄道の旅がお好きなら、ぜひ一読をお奨めしたい。

(写真・記事/住田至朗)