へるん先生の汽車旅行 芦原伸著

へるん先生? そりゃ いったい 誰だ?

というのが最初にこの本を手に取った時の感想。しかし副題が「小泉八雲、旅に暮らす」とあったので、小泉八雲=ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)とわかった。Hearn(ハーン)は、彼が愛した焼津の町で住民から親しみを込めて「へるん先生」と呼ばれていたのだ。

ある世代の人々は小学生の頃に教科書で「耳なし芳一」を読んだことがあるだろう。つまり小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの名前は誰でもよく知っている。

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さて、この本の筆者の芦原伸さんは『吞み鉄』(東京新聞出版局/2016)『鉄道ひとり旅 郷愁の昭和鉄道紀行』(講談社/2008)などを楽しく読んだこともあり、好きな著者の一人。

序章はラフカディオ・ハーンの作品「生神様」に描かれた安政の南海大地震による海嘯(Tsunami)が取り上げられている。芦原氏はまずこの現地、和歌山県広川町を訪れ掌篇にハーンが描いた主人公の実像を知る。そこから小泉八雲とはいったい何者だったのか?という疑問が涌き、芦原氏はラフカディオ・ハーンの足跡と時代を追う旅に出発する。それも鉄道で小泉八雲をたどってゆくのである。

まず、ザッとしたラフカディオ・ハーンの生涯がスケッチされる。誕生から(母親がギリシャのレフカダ島の出身で小泉八雲もこの島生まれとは知らなかった、ラフカディオというミドル・ネームはこのレフカダ島から付けられたものだ)幼少時に父親の実家ダブリンへ転居したこと(父親がアイルランド人・軍人というのも初めて知った)、しかし明るいギリシャの島育ちの母親は陰鬱なダブリンに絶えられず幼いハーンをダブリンに残し帰国してしまう。軍人の父親は新しい家庭を作りインドに赴任。独り残されたハーンは富裕な親戚の叔母に養育される。そしてお金のかかるキリスト教寄宿学校に入れられた。しかし叔母の財産を親族が横取りし蕩尽してしまう。寄宿学校を放り出されたハーンはロンドンに向った。そしてニューヨークに渡る。米国に入国する際にハーンはアイルランド人であることを捨てギリシャ人と書く。ラフカディオ・ハーンのフルネームはパトリック・ラフカディオ・ハーンであり、パトリックはアイルランドの守護聖人だが、以降、かれはこのパトリックを使わなくなるのだ。

第一章で、芦原氏はハーンが渡ったニューヨークに降り立つ。19歳のハーンが残した足跡を追うのである。そしてアムトラックでフィラデルフィア、そしてシンシナティへと旅をする。

第二章はシンシナティでのハーンの生活を追う。ハーンは新聞記者としてそこそこ成功したのだ。しかしその職を捨てハーンはニューヨークに移り住む。19歳で渡米したハーンはシンシナティで7年、ニューオーリンズで10年、西インド諸島マルティニーク島で2年を過ごし無一文の状態で40歳になっていた。

第三章、そして日本の紀行文を書く契約でハーンは日本に向かう。芦原氏は丁寧にハーンの足跡を追い、現在の風景とハーンの時代を想起しながら鉄道の旅を続ける。

第4章から日本国内の鉄道旅になる。横浜から焼津。第5章は焼津から姫路、第6章で松江に着いた。小泉八雲というと松江というイメージがある。第7章、しかし松江の冬、その寒さにハーンは凍える。しかし伴侶を得、日本国に帰化しラフカディオ・ハーンは小泉八雲になる。

第8章、小泉八雲は日本人の妻セツと新婚旅行をする。第9章、ハーンは語学教師として出世し熊本に赴任。第10章、さらに神戸へ。第11章、小泉八雲は終焉の地東京に移る。そして終章。

この本はラフカディオ・ハーン=小泉八雲という明治期の奇妙な外国人の目を通して、もう一度著者芦原氏が時代と風景を鉄道でたどり直すというひじょうに面白い試みが描かれている。ラフカディオ・ハーンはその出自・育ちからキリスト教に嫌悪を持ち、ヨーロッパ的階級社会にも反感を覚え、何よりも日本の嫋やかで長閑な自然の情緒を愛した。

むしろ芦原氏は現代の日本人から失われてしまった細やかな感性を小泉八雲に見出す。鉄道による著者の旅はラフカディオ・ハーンと無関係に楽しめるし、阿川弘之さんの”南蛮阿房列車”の趣きもある。しかし、改めて教科書でしか知らなかった小泉八雲を身近に感じることもできて色々な楽しみ方のできる一冊だ。

もちろん芦原伸ファンには文句の無い出来、オススメします。