※2020年8月撮影

トップ画像は、美祢線四郎ケ原駅。小雨が降っています。右の大木は、駅の開業を記念して植樹されたカイヅカイブキ(ヒノキ科ビャクシン属)樹齢115年です!

このカット、美祢線木造駅舎中では最も好きな1枚です。静けさが駅前広場のアスファルトに反射しています。

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駐まっているクルマにはJR西日本と書いてありましたが、撮影が終わるまで誰にも会っていないのでJR西日本の方は終始駅舎内にいたのでしょうか。

※2020年8月撮影

電話ボックスは新しいタイプ。郵便ポストも古いタイプではありません。

屋根はスレート葺き、出入口の庇も同じですが苔が生えている様です。

※2020年8月撮影

駅出入口。建物財産標などを見つけることはできませんでした。

※2020年8月撮影

四郎ケ原駅は、1905年(明治38年)山陽鉄道の駅として開業。1906年(明治39年)山陽鉄道は国有化されます。1909年(明治42年)線路名称制定で大嶺線の所属駅になりました。1924年(大正13年)線路名称改定で美禰線(1963年以降美祢線)の所属駅になります。1985年(昭和60年)駅は無人化。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR西日本が承継。この駅も貨物列車が行き違っていた時代があるため異様に長いホームがありました。

駅舎の横にこんな看板が立てられています。広島鉄道管理局発行「駅長さんの書いた駅名ものがたり」からの一部引用とのこと。

※2020年8月撮影

看板に拠れば、駅名は1.8km北側にあった江戸時代の宿場名から付けられたとあります。江戸時代に編纂された地誌によれば、「四郎ケ原というのは、この地は広い野原であって、そこに四郎という者が住んでいた」からその様に呼ばれたということらしいですね。字は違いますが筆者も至朗(シロウ)なのでどこか親近感を感じます。

地図で見ると美祢線を北に1.5kmほど進んだ西側に四郎ケ原というエリアがあって、四郎ケ原簡易郵便局や、若宮八幡宮、隆光寺などの寺社もあります。その横には2019年3月に147年の歴史を閉じた美祢市立城原小学校の廃校も残っています。

ここがかつては宿場だったのでしょうか?

駅舎の北側から。妻壁が改修されていないので歴史を感じさせます。

※2020年8月撮影

待合室の外壁部分が湯ノ峠駅や厚保駅と同じモルタルで改修されている様です。

※2020年8月撮影

雨は小降りになってきました。駅前です。左に樹齢115年のカイヅカイブキ。

※2020年8月撮影

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。

(写真・文章/住田至朗)