富良野線西中駅 陸羽西線古口駅 氷見線伏木駅【木造駅舎カタログ】落ち穂拾い02/313
※2004年9月撮影
トップ画像は、JR北海道富良野線の西中駅。2004年(平成16年)メーカー宣伝部に奉職していた頃、HDTVデモ映像の制作で北海道を訪れた時に撮った写真です。
ラベンダー畑に向かう途中で木のホームだけの駅を見つけました。まだ筆者は北海道のローカル線を青春18きっぷで旅する前です。北海道には少なくない極端に簡素なホームだけの駅を初めて見てかなり衝撃を受けました。それでクルマを停めて写真を撮ったのです。
何時改築されたのか分かりませんが現在よりも大きな待合室がありました。
サラリーマン時代の出張でJR東日本陸羽西線に乗っていた時に列車の行き違いでしばらく停まった古口駅の駅舎。2014年に改築される前の木造駅舎なので現存しません。この1枚しか撮っていなかったのが残念。もう少し引いて全体を撮っておけばよかった・・・。2003年(平成15年)10月の写真。ほぼ20年前のデジタルカメラなので画質はイマイチです。
※2003年10月撮影
2005年(平成17年)7月、高岡出張の際に休日をはさんだ予定を組んで脚を伸ばしたJR西日本氷見線の伏木駅。1928年(昭和3年)に改築された木造駅舎は現在も使われています。雨が降っていましたが、母方の祖父が生まれ育った土地が伏木なので訪問したのです。
※2005年7月撮影
駅舎出入口。郵便ポストの上に置かれた銅像が珍しくて撮っています。
※2005年7月撮影
写真では分かりませんが駅構内にはロシア語の案内が貼られていて、伏木港にロシアからの船が入ってロシア人がJRを利用するコトが分かります。
※2005年7月撮影
伏木駅南西側の公道踏切。駅は左、直進して分岐している側線の先、右奥に伏木港とJR貨物の貨物列車用操車場があります。
※2005年7月撮影
その踏切を50mほど進むと小矢部川に突き当たり、2009年(平成21年)に小矢部川を渡る伏木万葉大橋完成によって廃止された「如意の渡し」待合所がありました。駅舎ではありませんが親戚の様なモノですね。昭和四十年代には如意の渡しを年間75万人が利用していました。
※2005年7月撮影
説明看板には次の様に書かれていました。
「如意の渡し
室町時代の軍記物語「義経記」の中に「如意の渡」にて、義経を弁慶打奉(たてまつ)る事」という挿話がありますが、この「如意の渡」はかつてこのあたりにあったと伝えられています。
文治三年(1178)奥州へ落ちる義経一行が如意の渡から船で六渡寺にすすもうとしましたが、渡守の平権守が義経をさして判官殿(義経のこと)ではないかと怪しみました。
頼朝に通報されたら一大事と考えた弁慶は“あれは加賀白山よりつれてきた御坊で判官殿とおもわれるのは心外だ”と言ってとっさに疑念をはらすため、扇で義経をさんざん打ちのめしました。
このようなやり取りがあって、一行はめでたく如意の渡を渡りました。
この話は、扇が金剛杖になったり場所も安宅の関になるなど、だんだん変えられて、のちに謡曲「安宅」や歌舞伎「勧進帳」が創作されました。
平成元年十一月 高岡市観光協会」
記念撮影用のパネルもありました。
※2005年7月撮影
渡し場には、この場面の義経・弁慶像。如意の渡廃止後は伏木駅前に移設されたそうです。
※2005年7月撮影
渡し場に「如意の渡し丸」がいます。片道200円でしたが、雨なので乗るのは止めました。
※2005年7月撮影
同じ年の秋、業務の暖房機展示イベントが終了後、天気が良かったので如意の渡しに乗りに来ました。
※2005年10月撮影
渡し船で往復した後、祖父から聞かされていた雲龍山勝興寺に行き広大な境内で素晴らしい12棟の重要文化財建造物を眺めました。高岡からも近いので散歩にオススメです。
※使用している写真は筆者がプライベートな旅で撮った古いスナップです。
※駅などについては『JR全線全駅』(弘済出版社/1997)、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地01-60』(朝日新聞出版/2012-2013)他を参照しています。
※鉄道撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいているものです。鉄道を撮影する時は感謝の気持ちを伝えましょう。ありがとうございます。
(写真・文章/住田至朗)