部品調達に難があるために100%国産化【私鉄に乗ろう 69】

2018.10.21

【私鉄に乗ろう 69】広島電鉄 本線 その3

トップ画像は、低床車両5100形グリーンムーバーマックス5107A。ドイツ製の5000形グリーンムーバーが高価で部品調達に難があるために100%国産化されました。製造は近畿車輛、三菱重工業、東洋電機製造。2005年から10編成が導入されています。

八丁堀停留場から200mで立町停留場。1952年(昭和27年)に郊外バス前停留場として開業しました。広電バスの郊外バス営業所があって、その利用者のために設けられた停留場でした。1957年(昭和32年)に紙屋町交差点に広島バスセンターがオープンして郊外バス営業所もそちらに統合されたため停留場名も立町に改称されています。

300mで紙屋町東停留場、鯉城通りをはさんで紙屋町西停留場があります。1912年(大正元年)の開業。2001年までは東・西に分けず、両方とも紙屋町停留場でした。

ここを直進するのは現在乗っている2号線広電宮島口行と6号線江波行。

広島駅を出発した電車では、1号線広島港行だけがポイントを左に曲がります。逆に上り側からは、3号線が広電西広島と広島港を結んでいます。また7号線が横川駅と広電本社前を結んでいます。

所々に芝が植えられてグリーンの帯になっています。

300mで原爆ドーム前停留場。1912年(大正元年)の開業。もちろん開業時に原爆は投下されていませんから櫓下(やぐらした)停留場でした。その後相生橋停留場に改称されています。原爆ドーム前停留場と改称されたのは1974年(昭和49年)と戦後30年が経った頃でした。

日曜日の朝6時台なので流石に観光客はほとんどいません。相生橋を渡ります。

相生橋から振り返ると原爆ドームが見えました。

※正午頃に撮影したカット

0.4kmで本川町停留場。1912年(大正元年)の開業時は、左官町停留場。開通当時はこの停留場部分が電車運行上のボトルネックになっていましたが、1917年(大正6年)横川線が開通、1943年(昭和18年)に土橋から江波線が開通します。この横川駅と江波を結ぶ線が作られ横川線の十日町と江波線の土橋が短絡されます。本線も左官町から十日市町〜土橋が本線に組み込まれました。

わずか300m先に十日市町停留場が見えます。左から電車が来ます。

曲がって来たので、2号線(広電宮島発・広島駅行)か3号線(広電西広島発・広電本社前行)、6号線(江波発・広島駅行)の”どれか”ですね。手前は、9号線江波発の白島行です。

2号線広島駅行でした。3900形3902、1990年から96年にかけて8編成が導入された3両連接車両、3800形とほぼ同じですがモーターがより強力なものになっています。アルナ工機製。

【私鉄に乗ろう 69】広島電鉄 本線 その4 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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