※2023年3月撮影

トップ画像は、真言宗豊山派法護山金剛宝寺金蓮密院、通称金蓮院(こんれんいん)。

山門の前の右(東)側に児童遊園があります。

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※2023年3月撮影

気になったのが門前にズラリと並ぶ石碑。

※2023年3月撮影

残念ながらほとんど判読できませんでした。

※2023年3月撮影

法護山の額がかかっています。

※2023年3月撮影

脇にかかっていた「金蓮院のしおり」の内容を略述します。

本尊は大日如来。開山日は不詳、開祖は甲州武田家家臣だったと言われる賢秀和尚で天正十三年(1585)入寂。現在の住職三十一世常俊 平成三年五月謹記。

平成三年は1991年、30年以上経っています。境内に入ります。

※2023年3月撮影

こちらが葛飾区指定天然記念物「金蓮院のラカンマキ」

※2023年3月撮影

案内板の内容を記します。

「昭和58年2月21日指定

羅漢槇はマキ科に属する常緑樹。古くから「金蓮院のラカンマキ」として有名で文政12年(1829)の文献にも記されています。〈中略〉

ラカンマキの大木は都内でも極めて少なく、樹高10m余、幹周り約3mで樹齢は400~450年といわれている。

金蓮院は永正年間(1504~1520)の創立で旧門末30余ヶ寺、朱印地10石を持つ本寺格の寺院。 葛飾区教育委員会」

本堂です。

※2023年3月撮影

本堂の右前に「金蓮院本堂改修事業趣意書」があります。以下はその内容です。

現在の本堂は、万治元年(1658年)僧実盛が再興、享保三年(1718年)炎焼。元文元年(1736年)再建。明和、安政、明治の三回にわたり修復。昭和27年茅葺き屋根から瓦葺きに改修。

平成23年3月11日の東日本大震災以後、屋根と柱の歪みが進み修復の緊急性が高い建物と分かりました。総予算八千萬圓の半分を金蓮院が負担、残り半分を檀信徒からの寄付として募ります。 住職 鈴木常英 以下総代など連記

外から見ている分には柱などの歪みは分かりません。立派な本堂です。

※2023年3月撮影

本堂の前に葛飾区指定有形文化財「金蓮院愛染明王石像」があります。指定は昭和58年2月21日。1983年。

※2023年3月撮影

右に見える葛飾区教育委員会の案内板には次の様に記されています。

「この石像は、宝永7年(1710)に二十六夜待講中の人々が、二世安楽を願って建てたものです。二十六夜待とは、特定の月の26日の夜に人々が寄り合い、飲食などをしながら月の出を待ち、五穀豊穣、商売繁盛などを願うことをいいます。二十六夜待の本尊は愛染明王ですが、石像を刻むよりも文字を刻む例が多く、愛染明王の石像単独では余り例はなく、これはその中でも古い方に入ります。

愛染明王は人々の迷いのもととなる、様々な愛欲の心をきよめることによって、その悩みから人々を救い、大きな愛へ転化させる力(菩提心)を持つ仏とされています。

像容は三目六臂像(目が3つで腕が6本)で、中央の第一手左に鈷鈴、右手に五鈷杵、下部の第二手左に弓、右が矢を持ち、上部の第三手左が拳をつくり、右に蓮華を持っています。 葛飾区教育委員会」

本堂の横には石仏が並んでいました。

※2023年3月撮影

左端は庚申塔でした。元禄十二年の文字が読めます。1699年、江戸大火の翌年でした。

※2023年3月撮影

境内の一隅、三界萬霊塔の周囲に石仏群。明暦、天和、元禄などの文字が読めました。

※2023年3月撮影

鐘楼、手前の石碑には「いろはにほへと」が最後まで刻まれています。

※2023年3月撮影

京成金町駅に戻ります。

※2023年3月撮影

300回にて京成金町線の【駅ぶら】が終了。残すところ成田スカイアクセス線の成田湯川駅のみとなりました。

お付き合いありがとうございます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料:『京成電鉄85年の歩み』(1996年/総務部編)『京成電鉄100年の歩み』(2009年/経営統括部編)他