※2023年5月撮影

トップ画像。京王線初台駅東口からオペラシティのアトリウムに来ています。

水がはられて、涼しげな風を感じます。

筆者は1997年(平成9年)オペラシティにオープンする直前の「NTT インターコミュニケーション・センター[ICC]」にアート作品表示用に大型ディスプレイを搬入。上方空間にたくさん設置して空を映し下の空間を人間が移動するとインタラクティブに空模様が変化するという作品を手伝いました。面白い作品でした。当時転職してメーカーに在籍していたのです。

※2023年5月撮影

奥が新国立劇場のエントランスになっています。

※2023年5月撮影

甲州街道側を西に進みます。

※2023年5月撮影

左奥に新国立劇場エントランスが見えます。

※2023年5月撮影

オペラシティのアトリウム方面を見ています。水のある空間が剰りにも気持ち良くて、しばらく佇んでしまいました。

※2023年5月撮影

新国立劇場のエントランス。

※2023年5月撮影

オペラ通りを渡って西側から新国立劇場。

※2023年5月撮影

さらに甲州街道を西に歩きます。

※2023年5月撮影

200m弱歩いて北に入ったところに高知新聞社員寮洗旗荘があって東郷平八郎揮毫の「旗洗池」の記念碑があります。道側からは裏しか見えません。

※2023年5月撮影

渋谷区教育委員会の説明は以下。

「旗洗池跡

後三年の役(1083~87)ののち、八幡太郎義家が上洛のときにこのあたりを通り、この池で白旗を洗って傍らの松にかけて乾かしたという伝説があります。その白旗はのちに金王八幡宮の宝物となり、いま残されている旗がそれであるといわれています。

この池は60平方メートル程の小さな池で、肥前唐津藩小笠原家の邸宅内にあり、神田川に注ぐ自然の湧水でした。昭和38年(1963)に埋められ、今は明治39年(1906)4月、ここに遊んだ東郷平八郎筆「洗旗池」の記念碑だけが残されています。

源義家がはたして白旗を洗ったかどうかについての証拠はありません。しかし関東地方特有の源氏伝説のひとつであり、幡ヶ谷というこの付近一帯の地名の起源になった有名な池だったのです。」

社員寮の敷地にお邪魔して表面、海軍大将東郷平八郎の「洗旗池」の文字です。

※2023年5月撮影

では初台駅に戻ります。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)