トップ画像。江の島と言えばトンビです。ピ~ヒョロロと鳴きながら悠然と空を舞っていますが、人間がおにぎりなどを手に持って食べていると「急降下してきて奪うから注意してください」と看板が江の島には出ています。実際に子供の頃、江の島でトンビにおにぎりを盗られた人物を知っています。

この日は風が強かったので向かい風に向かって空中で静止に近い状態で滑空するトンビを望遠レンズで撮ることができました。

エスカー3段目に乗ります。

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出口天井に「エスカー終点」と表示がありました。

江の島サムエル・コッキング苑入口。旧・江の島植物園をリニューアルして2003年(平成15年)にオープンしました。サムエル・コッキングさんは、明治初頭に来日、横浜に住んだアイルランド人貿易商で江の島に別荘と庭園を造りました。珍しい熱帯植物などを本格的なボイラー施設を装備した大型温室で育てました。没後も庭園は残されていたそうですが関東大震災で破壊されてしまいました。彼が残した熱帯植物は残って現存し、藤沢市によって市の天然記念物に指定されています。

ふだんは人がいっぱいの江の島展望台広場が無人。筆者も初めて眼にしました。朝の9時過ぎ、営業時間前ですから。

江の島展望台から江の島大師の不思議な丸いお寺と江の島展望灯台。筆者が学生時代には両方ともなかったですね。

江の島大師の門を入ると二体の真っ赤な不動明王が出迎えてくれます。ここでも右の像は阿(あ)形で口を開けています。

左は口を結んで吽(うん)形。双方とも三鈷剣(魔を退散させ、人々の煩悩や因縁を断ち切る)と羂索(けんさく、悪を縛り上げ、煩悩から抜け出せない人々を救い出すための投げ縄)を持っています。

「世界の貝の博物館」明治44年(1911年)創業の貝広物産店です。

まだ開店前。

エスカーで楽に登ってきましたが、奥津宮まではかなり階段の上り下りがあります。

そろそろお店も開店し始めました。

ふと見ると「昭和二年七月改修」と彫ってありました。1927年、もうすぐ100年・・・。

筆者は路傍の庚申塚などを好みます。この群猿奉賽像庚申塔はかなり珍しいタイプです。一般的に庚申塔は、庚申信仰者が無病息災や長寿を祈念して建てるのですが、猿たちが様々な姿で歌ったり、踊ったり、綱渡りなどをして、本尊である山王神に奉賽(ほうさい=神の功徳に感謝)しているという江戸中期の珍しい庚申塔です。

残念ながら裏側は見るのが難しいです。

奥津宮に着いて手水舎、亀の口から、水は出ていませんでした。

個人的には柱の下、亀の姿の礎が面白いと思いました。

鎌倉幕府の源頼朝が文治元年(1185年)に寄進したという鳥居。2004年(平成16年)台風で破損し補修されました。お正月・初詣に向けて提灯を吊る作業をしています。

鳥居から拝殿にゆく途中、右に亀甲石があります。玄武岩の柱状節理断面が磨かれ亀甲紋が現れています。江の島では産出しない石といいます。さてどこから持って来たのでしょう。

奥津宮拝殿、お正月に向けて、ここも作業中。拝殿はかつて壮麗を極めていたと伝わりますが天保12年(1841年)火災で失われ翌年造営されたものです。1979年(昭和54年)改築。

奥津宮本殿の扉が開いているのは12月9日(月)です。

余談です。お賽銭というのは多寡(多い少ない)によって御利益(ごりやく)は変わらないといわれますが、12月9日(月)の昼頃来た時に、筆者の後で待っていた女性が裸のピン札で1万円を持っていて、ソレを賽銭箱に投入したのを見てしまったのです。余程ヘヴィな願があるのか、あるいは願い事が成就したのでしょうか。ふだん5円か50円しかお賽銭をいれない筆者はビックリ。

奥津宮の横に龍宮大神(わだつみのみや)があります。1994年(平成6年)に造営され新しく祀られました。

石積みの山が拝殿なのか本殿なのか賽銭箱も無いし不明。上の龍が迫力あります。

奥の院の鳥居? 階段の下に稚児ヶ淵や本来の奥の院「江の島岩屋」がありますが、膝が痛いので行きません。学生時代に何度か行っていますが、残念ながら写真が残っていません。

・・・以上で江島神社の辺津宮、中津宮、奥津宮巡りは終了します。ゆっくりお正月をお過ごしください。明日からは、小田急線の【駅ぶら01】に続きます。

オマケは、瑞心門の破風尻飾り、今回の写真で筆者が最も気に入った1枚です。

(写真・記事/住田至朗)