※2021年4月撮影

トップ画像は、高田馬場駅から東にゆっくり歩いて30分、西早稲田二丁目の穴八幡宮の流鏑馬像。

歩くのがシンドイ場合は東京メトロ東西線の早稲田駅からなら3分程です。私は高田馬場から早稲田通り沿いの古書店などを覗きながら歩いて来るのが好きです。

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※2021年4月撮影

緑の少なくはないエリアですが、穴八幡宮の一画はこんもりと森になっています。

※2021年4月撮影

以下余談。私事ですが、私は失業後、仲の良い(飲み友達の)牧師に誘われてこの近くで毎週、旧約・新約聖書を聖書学の専門家たちが翻訳したり議論する会に2年ほど顔を出していました。それでこの界隈にすっかり馴染みました。

専攻が西洋美術史だったのでキリスト教について少しは勉強していました。でもギリシャ語(新約聖書が1世紀後半に書かれた言語はギリシア語が現地化したコイネー)やラテン語(カトリック教会がラテン語訳聖書を正式に正典としたのは5世紀頃)を私は「囓った」程度です。だから聖書学論争はほぼ「唐人の寝言」。(笑)

「アラム語で話していたユダヤ人ラビ(指導者・学者)「ナザレのイエス※」の言行が何故ギリシア語で記され新約聖書になったのか」「そもそも初期教会とは誰が何のために作ったのか?」「エッセネ派と死海写本は?」などなど。

※「イエス・キリスト」という言葉自体が「イエスは油を塗られた者=救世主である」というギリシャ語に基づく信仰告白です。非信仰者(や多くの聖書学者)は「ナザレのイエス」と呼びます。

※2013年8月撮影 当時の積ん読

この会で親しくさせていただいた聖書学者上村静さん(現・尚絅学院大学教授)からは聖書の暴力性と初期キリスト教会などの話を聞きました。上村さんの『宗教の倒錯』(岩波書店/2008)『旧約聖書と新約聖書』(新教出版社/2011)『キリスト教の自己批判』(新教出版社/2013)は個人的にも超オススメです。

※2021年4月撮影

しかし、何から何まで偏執的に記録しまくったローマ人が、何故「ナザレのイエス」についてほとんど記録を残さなかったのか。など幾つも疑問があったのです。

まぁ、キリスト教が分からなければ18世紀以前の西洋美術は何も分からないに等しいとも言われています。それが日本の西洋美術史学者に印象派以降の専門家が多い理由。

※2021年4月撮影

余談が長いなぁ。この辺りで本題に戻りましょう。早稲田の穴八幡宮です。鳥居の左にトップ画像の流鏑馬像。

※2021年4月撮影

キリスト教とは無関係に、穴八幡宮にも時々深呼吸に来ていました。新宿区の凄まじい喧噪の中に居るとは思えない、この静けさが魅力。

※2021年4月撮影

階段を上がると美しい光寮門。左には穴八幡宮鼓楼。新緑に朱が映えます。

※2021年4月撮影

門の中には右大臣左大臣。木立の向こうに社殿。

※2021年4月撮影

右に手水場があります。

※2021年4月撮影

左側には江戸幕府三代将軍徳川家光が奉納したと伝えられる布袋尊像の水鉢。実物は神社の社宝なのでこれはレプリカ。参拝者が撫でるので黒光りしています。

※2021年4月撮影

慶安・元禄時代の絵図に基づいて平成元年(1989年)に鉄筋コンクリートで再建された壮麗な社殿。黒と金の組み合わせ。新しい狛犬も迫力あります。

※2021年4月撮影

まだ散歩は続きます。次会は土地っ子の漱石さんを訪ねます。

(写真・文章/住田至朗)

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。