黒地の駅名標!【木造駅舎コレクション】100

2022.02.16

※2021年4月撮影

トップ画像は、豊肥本線竜田口駅。シンプルな箱の上に赤い瓦屋根の木造駅舎です。肥後大津駅と違うのは駅舎が周囲から遮られずにそのままよく見える点。でもこれって木造駅舎見学にはとても重要なポイントです。まぁ、一般的には駅舎の見えない駅の方が稀ですけど。

竜田口駅前は広い空間になっていました。路線バスも停まる様です。木造駅舎の軒を支える形で妻壁の延長の様になっている部分は後年の増設でしょうか。

※2021年4月撮影

駅舎の北側は待合室です。バス停の上屋があります。駅の西側には広大な立田山の緑地が広がっているのですが駅からは一部の丘と緑しかみえません。

※2021年4月撮影

さらにカメラを持って駅前広場全体が見える様に後退します。広いでしょ? 右奥のこんもり繁った緑が立田山の一部です。あの奥右に細川家廟所があります。

※2021年4月撮影

島式ホームの幅が広くないのであらかじめ駅の外から駅名標を撮影します。黒地の駅名標は初めて見ました。

※2021年4月撮影

竜田口駅は、1914年(大正3年)宮地軽便線の駅として開業。1922年(大正11年)宮地線に改称。1928年(昭和3年)豊肥本線に改称。1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR九州とJR貨物の駅になります。JR貨物駅は休止の後、廃止されました。

カラフルな駅名標もありました。「ガラシャ夫人の墓のある公園の駅」と記されています。

※2021年4月撮影

立田山の西側に肥後細川家菩提寺龍田山泰勝寺跡である細川家廟所があります。細川ガラシャの廟所もあるのかな。立田山自体が細川家の庭園で現在も熊本市が細川家から借りて自然公園にしています。石田三成が西軍の人質にしようとした際に壮絶な最期をとげた細川ガラシャは、明智光秀の三女「珠」です。

駅名の由来が記されています。「細川家の墓地泰勝寺を当初立田村泰勝院と呼んだのが後に竜田山泰勝寺と変った。また、この地が熊本へ通じている水路の入口であったことから地名となり駅名となった。」

確かに駅の東側を流れる白川は熊本に通じています。しかし駅所在地は熊本市北区黒髪7丁目。近隣に竜田口という地名はありません。北側に龍田陣内、さらに北が龍田という地名です。この龍田を竜田と変えれば竜田口は成立するのかな。

では駅舎に入ってみましょう。

※2021年4月撮影

駅名で話が長くなってしまいました。続きは次回です。

そう言えば、今回は【木造駅舎コレクション】100回記念ですね。ここまでお付き合い賜りありがとうございます。

JR九州さんの【木造駅舎コレクション】既撮影分は、この駅を入れて2駅となりました。元気だして行きましょう。

(写真・文/住田至朗)

※木造駅舎などJR九州さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいているものです。鉄道は感謝の気持ちを持って撮影しましょう。


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