駅舎は地域隆盛史の証人【木造駅舎カタログ】山陰本線46/147 八鹿駅

2022.05.09

※2020年8月撮影

トップ画像は、山陰本線八鹿(ようか)駅。横長の駅舎です。

屋根はスレート葺き。有人駅でみどりの窓口もあります。浜坂駅に湯村温泉の歓迎看板がありましたが、関西方面からはこの駅から路線バスで湯村温泉に行く方が便利です。

※2020年8月撮影

八鹿駅の駅舎は、1934年(昭和9年)に改築された二代目です。大正3年(1914年)郡是(現・グンゼ)の八鹿工場が設置され実質的に現在に繋がる町が形成されました。戦時下では川西航空機協力工場になり戦闘機紫電改を製造しました。

戦後には織機150台が稼働、社員寮3棟、社宅20戸、従業員が3交代で働く大きな工場でした。しかし平成21年(2009年)工場は閉鎖。約1万坪と言われる工場跡地が残されました。跡地には「やぶ市民交流広場」が2021年に誕生しました。この駅舎の背後に、その様な地域の隆盛史が隠されています。

※2020年8月撮影

駅舎も横に長いのですが、駅舎の庇と上屋がさらに横長に見せている様です。

※2020年8月撮影

八鹿駅は、1908年(明治41年)官設鉄道が和田山駅から延伸した終端駅として開業。翌年、豊岡駅まで延伸し、線路名称改定で播但線所属駅になりました。1912年(明治45年)福知山駅~和田山駅~香住駅が山陰本線に編入されます。八鹿駅も山陰本線の駅になりました。1934年(昭和9年)駅舎改築、二代目駅舎です。1955年(昭和30年)福知山駅の跨線橋が移設されます。1982年(昭和57年)貨物取扱が廃止。国鉄分割民営化でJR西日本に承継されました。

駅前ロータリーの植栽には「ようこそ やぶしへ」という立札。駅は養父市にあります。

※2020年8月撮影

養父市の人口、1960年(昭和35年)には約45,000人でしたが、2015年(平成27年)には、24,300人とほぼ半減しているのです。(国勢調査)大きな要因としてグンゼ工場の撤退があるとは言え、状況はかなり深刻です。

農家の高齢化で増加する耕作放棄地対策として養父市では、企業が農地を利用しやすくする特区制度を導入、大手企業が農作に参入しています。日本の農業の未来形かもしれません。

駅出入口。壁面に八鹿駅のシンボル「八芒星」デザインの窓があります。待合室の窓、内側からは緑色の透過光でキレイです。

※2020年8月撮影

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。

(写真・文章/住田至朗)


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