※2022年6月撮影

トップ画像は、京成佐倉駅の【駅ぶら】、国立歴史民俗博物館の愛宕坂を上っています。佐倉連隊跡案内図。

内容は以下。

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「明治7年、日本最初の軍隊歩兵第二連隊が佐倉に駐屯し、多くの部隊が編成・訓練され、西南戦争、日清・日露戦争にこの知から出征されました。明治42年には、第二連隊にかわって歩兵第五七連隊が移転し、昭和19年のフィリピン戦で多くの命が失われ、壊滅しました。」

最初に駐屯した歩兵第二連隊も、1944年(昭和19年)パラオ諸島で玉砕(ぎょくさい)しました。

玉砕とは、太平洋戦争で軍隊が全滅することを大本営が美化した言葉です。

愛宕坂の途中に石仏がありました。

※2022年6月撮影

なんだか見たことあるなぁ・・・。

※2022年6月撮影

・・・と思ったら、JR九州日豊本線臼杵駅前で見た石仏のレプリカでした。

※2004年12月撮影

横に案内。

※2022年6月撮影

内容です。

「古園石仏大日如来像 大分県臼杵市深田所在

日本を代表する臼杵磨崖仏のなかで、最も有名な古園石仏(大日如来及び諸尊像13体)の中心をなす大日如来像である。凝灰岩の岩壁から掘り出したもので、平安時代後期の木彫像に通ずる本格的な作風を示す丈六仏(約2.8m)である。〈後略〉」

石仏の少し上に「衛兵所跡」の案内。

※2022年6月撮影

愛宕坂は続きます。

※2022年6月撮影

左に曲がりました。右は、国立歴史民俗博物館。

※2022年6月撮影

左側に「円勝寺跡・愛宕神社跡」の案内。

※2022年6月撮影

内容は以下です。

「円勝寺は城内にあった真言宗の寺院でしたが、明治の廃仏毀釈で消滅しました。奥には愛宕神社があり、田町の氏神でもありましたが、連隊建設後は立ち入りが禁止されたため、移転しました。」

続いて「椎木曲輪(侍屋敷)」案内。

※2022年6月撮影

内容です。

「歴博があるのは「椎木曲輪(しいのきくるわ)」と呼ばれる侍屋敷地区で、連隊時代は兵舎がありました。歴博駐車場も侍屋敷の跡で、外側には「杉坂」と呼ばれる坂や秋葉神社がありました。」

この案内の旧佐倉城の図が分かり易いので拡大します。この後歩くのが黄色ライン。

※2022年6月撮影

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。