※2024年4月撮影

トップ画像は井の頭公園池の西側。「吉祥寺駅」まで860mですが、流石に「井の頭公園駅」に戻るよりは近いのでJRの「吉祥寺駅」に向かいます。

遠足の子供たちが池に向かっていました。

※2024年4月撮影

右に曲がります。

※2024年4月撮影

左に「井の頭恩賜公園 御殿山遺跡」の案内があります。

※2024年4月撮影

記載内容は、以下です。

「本遺跡は、1962年9月 武蔵野市が市史編纂事業の一環として発掘したときに発見されたものである。

直径5メートルの竪穴住居跡等があって多くの遺物も発見された。なお、この付近に遺跡の存在が推定されるから、この地域には今から約3、4千年以前の集落があったことが判明した。

1964年4月 武蔵野市 建立」

吉祥寺通りに出ます。手前右は「井の頭公園案内所」。

※2024年4月撮影

吉祥寺通り、左奥に「井の頭自然文化園」の本園があります。

※2024年4月撮影

筆者は学生時代、本に飽きたらゾウの花子さんを見に行っていました。入園料が安かったのです。奥にビルの3階くらいの高さしかない小さな観覧車があって、いつも誰も乗っていないので、面白がってよく乗っていました。周囲の木々の方が観覧車よりも高いので周りは見えませんでしたが。半世紀前の話です。(笑)

駅の方に歩きます。

※2024年4月撮影

筆者が小学生の頃「へびや」という看板があって、ショーウィンドーの中に生きている蛇が何匹もいるお店がありました。

とにかく生きている蛇がたくさんいるので怖々と眺めていたことが強く記憶に残っています。

その店がこの辺りだったハズなので写真のけん玉などが並んでいる「たくデザイン工房」にイキナリ入って訊ねてみました。

※2024年4月撮影

代表取締役の遠藤拓也さんが応対してくださいました。以下は、その聞き書きです。

「へびや」は正にこの隣にあった。

初代のお婆さんが、実際に見たワケではないが、たぶん生きている蛇を粉砕して漢方薬にして販売していた。

店には水晶なども並べられていた。

そのお婆さんが亡くなって、娘さんが数軒先の地下に店を移して漢方薬屋を次いだ。

この時に蛇のいるショーウィンドーはなくなった。

それが50年以上前、1970年代初頭だったかな。

その娘さんの店では蛇を料理したものも出していたが食べたことはない。

しかしその娘さんも病気で亡くなって「へびや」は無くなった。

町内会に回った死亡通知に「漢方薬へびやの〇〇、薬石の効なく」とあったので不謹慎だが思わず笑ってしまった。

だって漢方薬と石(水晶)を売っていたんだからね。(笑)

云々。

遠藤さん、筆者積年の謎が解けました。ありがとうございました。

駅に近づくとこちらも昔からある「いせや」から焼き鳥の良い匂いが・・・。

※2024年4月撮影

これは改装前の「いせや」さん。創業が筆者の生まれた昭和31年(1956年)というお店です。

※2006年11月撮影

筆者も友人たちと何回も来ています。お元気だった頃の高田渡さんの姿も何度かお見掛けしました。学生時代に2階の小さな和室でガールフレンドと飲んだのも懐かしい思い出です。

井の頭公通りとの「吉祥寺駅前」交差点。・・・といっても駅は右に曲がって200メートル以上あります。(笑)

※2024年4月撮影

次回は「井の頭公園駅」から「吉祥寺駅」の前面展望。

いよいよ京王電鉄【駅ぶら】も69駅目、オーラスの「吉祥寺駅」です。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)