【私鉄に乗ろう 69】広島電鉄 白島線 その1(19)

八丁堀に来ました。これが白島線専用ホーム。

白島線は、1912年(大正元年)に常盤橋線として開業した古い路線です。原爆投下で不通になった後、1952年(昭和27年)に現在の軌道で復旧しました。これまで乗って来た様に広電市内線は複雑な相互乗り入れ関係を構築していますが、白島線だけは2013年(平成25年)まで他線との直通運転をしていませんでした。現在は白島線(9号線)の一部の列車が本線・江波線を経由して江波まで直通運転をしています。

八丁堀停留場を発車。北上します。乗っているのは元京都市電1900形1903です。

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500mで女学院前停留場。原爆投下での不通から復旧した1952年(昭和27年)に開設されました。広島女学院中・高等学校が東側にあります。

わずか200mで縮景園停留場なので、見えています。元京都市電1900形1915鞍馬とすれ違います。

縮景園停留場。1912年(大正元年)の開業時は、泉邸前停留場でした。泉邸とは広島藩初代藩主浅野長晟(ながあきら)が1620年に作らせた別邸で、代々藩主浅野家に愛されてきました。1940年(昭和15年)に浅野氏が広島県に寄贈。縮景園は泉邸の別称です。停留場の東にあります。1952年(昭和27年)白島線の運転再開時に新線上に縮景園停留場が作られました。

300mで家庭裁判所前停留場。1952年(昭和27年)白島線の運転再開時に新線上に新たに開設された停留場。周囲には司法関係の施設が集まっています。

200mで白島停留場。1912年(大正元年)開業の初代白島停留場から1952年(昭和27年)の白島線新線になって100mほど延伸された場所で再開されました。

終点であることは、一目瞭然ですが、何と言うか、剰りにも簡素。八丁堀から8分で到着。

運転士さんはそのまま後方の運転台に移動してすぐに出発しました。元京都市電1900形1903の車内。八丁堀に戻ります。

八丁堀停留場に停まって、また白島に折り返す元京都市電1900形1903。

八丁堀から広島駅に戻り、広島電鉄の旅は終了しました。途中にアストラムライン往復を挟みましたが6時22分の始発から広島駅に戻ったのが14時半。8時間以上に渡って前面展望を撮影していたので流石に少し草臥れました。しかも外は猛暑日、車内は十分冷やして運行されていますから出たり入ったりと温度差でも体調がヘンです。

この後倉敷に移動ですが、JR西日本は豪雨の影響で広島〜三原間がバス代行。1時間に1本ですごい行列なので諦めて新幹線こだまで三原まで移動。そこから各駅停車で倉敷入りです。

しかし広島電鉄はすごく沢山の種類の電車が走っていました。【鉄の一瞥】で目撃した車両を並べて見ることにします。

(写真・記事/住田至朗)