※2023年8月撮影

トップ画像は「鎌倉街道」を西側に渡って「中河原駅」を見ています。右の「御嶽神社」の案内の方に歩きます。

「鎌倉街道」から100mも歩きません、「中河原御嶽神社」です。

ADVERTISEMENT

※2023年8月撮影

明神鳥居に扁額は架かっていません。右に「御嶽神社」の門柱。

※2023年8月撮影

神様にご挨拶。静謐を乱したことをお詫びします。

※2023年8月撮影

「御嶽神社由緒」という石碑がありました。

※2023年8月撮影

内容は、

「御嶽神社は 江戸後期文政年間の記録には、山王御嶽合社であり、山王神社のご祭神である大山咋神と、火災・盗難除けで名高い東国の霊場西多摩の御嶽山より勧請した大阿奈牟知命をご祭神とし、合せ祀っている。

明治3年10月村社に列せられ御嶽大神と称したが、同29年4月に御嶽神社と改称した。その後同じ中河原の八幡神社を合祀、ご祭神は応神天皇である。

古来より中河原村の鎮守であり、福の神・縁結びの神として崇敬された産土神である。

また武蔵国の護り神である大國霊神社と同じご祭神であるとも伝えられている。〈後略〉」

神社は「府中市立 御嶽森公園」の中にあります。「府中市由来碑」を見つけました。

※2023年8月撮影

「中河原」です。地名の起源が記されていました。

※2023年8月撮影

記載内容は、

「中河原は、現在の住吉町1丁目の一部(鎌倉街道沿い)に集落の中心があった村落です。幕末の地誌『新編武蔵風土記稿』には「家数34軒所々に散在す」とあります。中河原は、もと大道(大堂とも)と呼ばれていましたが、天文年間(1532~55)の多摩川の洪水により、石河原になってしまったために、それ以降は中河原と称したといわれています。古く、多摩川ははるか北側を流れており、中河原は多摩川の南側に位置していたようです。

地名の起こりは、集落が古多摩川(古玉川)と浅川との間の河原にあったことによるようです。中河原からは、応安7年(1374)などの年紀が刻まれた板碑が出土しており、村落の古さを物語っています。」

「府中市由来碑」の前から「御嶽神社」。

※2023年8月撮影

元の道に戻って西に歩きます。住宅地の中に農地があります。

※2023年8月撮影

次回に続きます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)