※2023年8月撮影

トップ画像は「高幡山明王院金剛寺」「大日堂」南側の「六地蔵尊」。

その横に「藤蔵・勝五郎生まれ変わりゆかりの地」記念碑があります。

ADVERTISEMENT

※2023年8月撮影

「勝五郎生まれ変わり物語探求調査団」の案内板があります。

※2023年8月撮影

内容は、

「江戸時代の後半、文政5年(1822)11月、中野村(八王子市)の小谷田勝五郎(8歳)は、自分の前世は程久保村(日野市)の藤蔵であると語りました。生まれ変わりの少年と大評判になった勝五郎は、「ほどくぼ小僧」と呼ばれるようになりました。

須崎藤蔵は、文化2年(1805)に生まれ、同7年2月4日疱瘡のため6歳で亡くなった少年です。藤蔵の墓は、元は須崎家の山の墓地にありましたが、現在は高幡不動尊墓地にあり、藤蔵の生家があった場所には、現在も子孫の小宮家が住み、墓地や位牌などを守っています。

※幕末に家督相続した者が実家の小宮姓を名乗ったことで小宮家になっています

文化12年10月10日に生まれた勝五郎は、明治2年(1869)12月4日、55歳で亡くなりました。墓は、永林寺(八王子市下柚木)にあります。

勝五郎の生まれ変わりについては、中野村領主多門伝八郎の調書や、文人大名池田冠山・国学者平田篤胤(あつたね)の同時代の記録が残り、当時の状況を詳細に知ることができます。また、明治30年(1897)には、小泉八雲が海外に紹介しています。

日野市郷土資料館では、平成18年(2006)より、市民参加の調査団を結成し、調査・研究・普及活動を展開してきました。

勝五郎の生まれ変わり物語が、末永く語り継がれることを祈念し、多くの人々の浄財により、記念碑を建立しました。藤蔵の墓所もお訪ね下さい。  平成30年5月吉日」

須崎家の山の墓地は、昭和40年代に宅地造成でなくなり昭和47年にこのお寺の墓地に改葬されています。

ちょっと余談です。筆者は「上田秋成」が大好きなので論敵「本居宣長」が嫌い。(半分冗談ですが)必然的に「本居宣長没後の門人」(弟子)の「平田篤胤」も好きではなかったのですが、後に『霊能真柱』(岩波文庫/1998)で篤胤は宣長流の悲観的死生観から脱しました。

それで篤胤の『仙境異聞 勝五郎再生記聞』(岩波文庫/2000年)は書架にあります。

※2023年8月撮影

この「勝五郎再生記聞」がとにかく面白いのです。50ページに満たない短い内容ですが、勝五郎が前世のことから生まれ変わる様など縷々語る(篤胤が記す)のが何とも不思議です。興味を持たれた方にはご一読をお薦めします。昨今は文庫も高くなったので千円以上しますが。(笑)

墓地に「勝五郎の前世 藤蔵の墓」があります。

※2023年8月撮影

右上が欠けた墓石が「藤蔵の墓」の様です。昭和47年に改葬された際に、元の須崎家の山の墓地から持って来たのでしょうか。

※2023年8月撮影

では「高幡不動尊金剛寺」の境内に戻ります。とても可愛らしい「にこにこ地蔵」。ホッとします。

※2023年8月撮影

こちらは「弘法大師像」修行する御姿の様です。この写真気に入ってます。

※2023年8月撮影

あまりにお美しい姿にビックリしました。「虚空蔵菩薩」。

※2023年8月撮影(編集部側で一部モザイクをかけております)

侍スタイルの「土方歳三像」があります。筆者は、司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』(新潮文庫)を夢中になって読んだコトを懐かしく思い出しました。

※2023年8月撮影

土方歳三と言えば、箱館戦争時の洋装の肖像写真や五稜郭の銅像(やはり洋装)を見慣れていたので、ちょっと意外な印象を受けました。何とも凜々しい姿です。

※2023年8月撮影

もう少し「高幡不動尊金剛寺」を拝観します。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)