和泉多摩川駅を出ました。急行線を快速急行新宿行が抜いてゆきます。

狛江駅までは600mです。

和泉多摩川駅とほとんど同じ作りです。ホームはカーブしています。相対式ホーム2面2線。下り列車が停車しています。

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ホームの上屋の間には架線を吊る柱が渡されています。

上りホーム。各駅停車新宿行から降りました。

横須賀線の地元駅に乗ったのが午前7時過ぎ、大船駅、藤沢駅を経由して登戸駅で小田原線各駅停車に乗り換えて、和泉多摩川駅を撮ってから狛江駅着が9時45分。まぁまぁのペースかな。

駅名標。1927年(昭和2年)開業。1997年(平成9年)には複々線化の工事が完了して現行の新駅舎も供用開始。狛江市役所によれば狛江という地名は、朝鮮半島から渡来した「高麗の人が住む入江」から狛江になった説と、百済国王が高麗人を日本に帰化させた地で「狛(高麗)の里」と呼ばれたことに由来するという2つの説が書かれていました。いずれにしても10世紀に朝鮮半島で誕生した国高麗がその発祥にかかわっているのがユニークです。高麗は英語のKoreaの語源にもなっています。

改札口は一ヵ所です。左に箱根そばが見えますが、改札内からは入れません。

改札口の外から。右にセブンイレブン。

北口。左側に公共通路があります。右に箱根そばの出入口。ホームを越える高さのドーム状のゲートはなかなか迫力があります。

北口の南側は駅前広場になっていて、こんな少女像が置かれています。その背後には狛江弁財天池特別緑地保全地区の緑が広がっています。この緑地の横を通って、福徳弁財天を過ぎて歩くこと5分ほどの狛江市立古民家園で7-8回イベントに参加したことがあります。

少女像の後から狛江北口方面を見ています。

これはホームから北口バスロータリーを撮りました。

余談ですが、1980年代の後半、かつて円谷プロから独立した人たちがやっていた特撮の狛江スタジオという小さな撮影スタジオがありました。特機関係や照明機材などが込み込みで安かったので何度かCM撮影に使いました。当時筆者はCMのプロデューサーを職業にしていたのです。まだ35mmフィルムで撮影をしていた時代です。当時の狛江駅はもちろん地上駅で木造駅舎があった様に覚えています。狛江市民グラウンド(当時は狛江市立第一中学校グラウンド)の近くに狛江スタジオはありました。当時から周囲は住宅が建て込んで、撮影は深更に及ぶことが珍しくなかったのですが「近隣住民から苦情がくるので静かにやって下さい」と耳にタコができる程言われたコトを覚えています。しばらくして狛江スタジオは閉鎖され、今は住宅が建ってしまったので跡地も分からない様です。その後、上祖師谷に住んでいた頃、何度か散歩でウロウロしましたが、既に20年以上が経っていてグラウンドの辺りとしか分からなかったですね。風景を記憶するのは難しいです。

狛江駅南口です。

南口から多摩川方向を見ています。安い居酒屋が並んでいて、イベントの後に度々飲んだことを思い出します。

懐かしい狛江駅を後にして喜多見駅に向かいます。【駅ぶら01】小田急江ノ島線35 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)