六郷という地名には謎が多い【駅ぶら03】京浜急行22

2020.04.23

トップ画像は、六郷土手駅を通過する下り回送列車。京急600形、1996年(平成8年)製造の4次車の4両編成。2012年(平成24年)に車体更新されています。

【駅ぶら】撮影の4日目は好天。上りホームから六郷川橋梁(浦賀駅方面)。この位置からは長い橋梁がパース画の様に見えました。この写真は個人的に気に入ってます。

上りホームの端まで行くと多摩川とJR東海道本線の橋梁も見えました。川の向こうは神奈川県です。

その場所から品川駅方向を見ています。

もう少し品川駅川に歩いて、ちょうど下り回送列車が通過。トップ画像はこの直後のカットです。下りホームからならもう少し雑色駅方面が見えると思いました。残念ながらこのまま駅の外に出てしまいました。

駅名標。1906年(明治39年)京浜電気鉄道の六郷堤駅として開業。雑色駅との間に六郷駅がありましたが、六郷堤駅開業の日に廃止されています。時期はハッキリしませんが六郷土手駅に改称。六郷川(多摩川大橋から下流の多摩川を六郷川と呼びます)の旧橋梁は1911年(明治44年)の建設で老朽化と輸送力増強のために1970年(昭和45年)現在の六郷川橋梁が架けられました。これに合わせ京急川崎駅側に約60m移動して六郷土手駅の高架新駅舎が1971年(昭和46年)に完成しました。

階下の改札口。

改札の外には京急の売店があります。駅員さんが販売員を兼ねていて合理的です。でも離席し難いかな。

駅出入口は高架下の品川駅側。

駅前通り東側には第一京浜が見えています。

西側にはJR東海道本線の橋梁が見えています。

多摩川の土手に向かっていたら六郷の渡し跡の看板がありました。

六郷の渡しとは、八幡塚村と川崎宿を結んでいた多摩川の渡しのことです。

そもそも六郷という地名は明治時代の町村制で、八幡塚村、高畑村、古川村、町屋村、、雑色村の5村(本来含まれるはずの道塚村が除外されています)が1つの六郷村になったトコロから始まっていると書かれていることもありますが、その遥か以前から六郷という地名は使われているのです。

八幡塚村は多摩川河岸にあった村、そこから東海道の川崎宿に渡し船があったのです。

実は徳川家康が慶長5年(1600年)に六郷大橋を架けたことが最初で、その後何度も洪水で橋が流され江戸時代には5度橋が再建されています。しかし最後の貞享元年(1684年)の橋が洪水で流された後は「六郷の渡し」が設けられたのです。

1874年(明治7年)鈴木左内という人物が私費で「六郷の渡し」に左内橋を架け通行料をとったのですが1878年(明治11年)には洪水で流されてしまいます。地元の人々が1883年(明治16年)に有料の六郷橋を架けましたが1910年(明治43年)にはまた流されてしまいました。

当時の多摩川(六郷川)がいかに「暴れ川」だったのかが想像されます。

1925年(昭和元年)にようやく長さ446.3m幅16.4mの近代的な六郷橋が架けられました。その橋も拡幅などのために1979年(昭和54年)から1987年(昭和62年)に工事が行われ現在の橋に架け替えられました。1925年の橋は現在の六郷橋脇にある宮本台緑地に橋門と親柱が残されています。

六郷土手駅には見どころがまだまだあるので次回にまたがります。

【駅ぶら03】京浜急行23 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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