六郷の渡し跡の看板を過ぎて六郷川(多摩川)土手の手前に「止め天神 北野天神」がありました。天神様と言うコトは菅原道真公が祀られているのですよね。

江戸幕府八代将軍徳川吉宗の乗る馬が暴走した時に落馬を止めたことから「落馬止め天神」と呼ばれる様になったといいます。この加護ににあやかろうと将軍指南役柳生家の留守居役が近くに屋敷を構えました。近隣の農民・町民は天満宮本来の学門だけではなく「災いや痛みを止め」たり近代では受験など「落ちない」ことを祈願する者が参拝したといいます。写真は中央の「止め天神石碑」右に「止め塚」左に「平癒塚」。

拝殿の前で地元の方かな、自転車を修理していました。天気が良いので近所を走っていてチェーンでも外れたのかな。

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しかし、1945年(昭和20年)4月の空襲で本殿、神楽殿など社殿は焼失。1983年(昭和58年)に再興されました。往時の縁(よすが)となるものが残されました。この石は「六郷の渡し」に行く途中にあったという河原橋。よしずの茂る河原の石橋です。

この手水石には寄進1684年(貞享元年)と彫られていて神社の歴史を伝えています。

右の「鶴さん/千年」と左「亀さん/万年」と名付けられた力石。かつては祭事に氏子の力自慢が持ち上げた石を村人たちが自分たちの生涯が達者で働ける様にと願い名付けました。手で撫でることで御利益があるそうです。

筆者が不思議に思ったのが、この黄色い鳥居の二分された様なもの。他の神社で眼にした記憶がないので何の為のモノか分かりません。鳥居には起源が諸説あってハッキリしないのですが、いずれにしても俗世と神域の結界の役割を果たしているはずです。この黄色い擬鳥居は結界の補強か参拝者を浄化するのか・・・。

北野天神を過ぎると六郷川の土手に上ります。土手から拝殿前の灯篭が見えます。

京急の六郷川橋梁が見えます。

駅の方を見るとホームの手前に大田区軟式野球連盟がありました。

京急の下り列車が通過すると迫力のある音がします。

ホームの端部と六郷川橋梁はほとんど接続していますが荷重を担う構造部材は別々です。

「頭上注意」をかがんでくぐり、六郷川橋梁の西側に出ました。河原にはゴルフの打ちっぱなし練習場があります。ここから河口までは10kmくらいかな。河口の左岸は羽田空港、京急蒲田駅から空港線が出ています。右岸には京急大師線が走っています。本線の後にこれらに乗りに行きます。

土手を東側に戻って第一京浜の方に歩いています。六郷ゴルフ倶楽部が京急六郷川橋梁と第一京浜六郷川橋梁の間に広がっています。何もない河原にゴルフボールをポコンポコンと打っています。

クルマが走り回っているので望遠レンズで写してみました。プロテクターの付いた軽四輪がゴルフボールを拾い集めていました。飛んできたルフボールが直撃したらすごい音がしそうですが距離が離れているので聞こえない様です。

筆者はゴルフクラブを手にした経験がありません。ゴルフ場は業務(撮影)でしか踏み込んだ事がないのです。釣り竿も持っていないし、そういう意味ではほとんど無趣味ですね。ゲームもやらないし、iPhoneは音楽を持ち運ぶ道具です。スマホでネットはしないのです。まぁ爺さんですから仕方ないね。

土手では女子校生(女子大生?)のグループが舞踏の練習をしていました。

第一京浜に上った頃、彼女たちは練習を終えたのか撤収してました。

土手の右下の森が「止め天神 北野天神」、手前に鳥居が見えます。

六郷土手駅に戻ってきました。向こうの緑色はJR東海道本線の鉄橋。

では六郷川(多摩川)を渡って神奈川県に入ります。【駅ぶら03】京浜急行24 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)