川崎大師から若宮八幡宮【駅ぶら03】京浜急行130

2020.08.11

トップ画像は、つるの池の横に鎮座する降魔成道釈迦如来像。釈迦如来の座像です。印相(手の形で表される)は右手を下げた降魔印。胎内に「仏舎利」がおさめられています。

不動堂。こちらの献香所はお線香が消えていました。

つるの池を渡る「やすらぎ橋」、向こうにはトップ画像の釈迦如来像。後に薬師殿があります。

こちらは曲芸に使われた「まり」などの道具を供養する「まり塚」。東京太神楽曲芸協会が1951年(昭和26年)に建立しました。迫力のある狛犬?

経蔵の横に京浜急行電鉄株式会社による天井画の寄進が記されていました。経蔵の落慶により川崎大師の戦後復興が完了、七伽藍が整いました。

中国最後の木版大蔵経といわれる「乾隆版大蔵経」が収蔵されています。ご本尊は釈迦如来。

これが京急さんが寄進した天井画「飛天」。綺麗です。

寛文3年(1663年)江戸からの参拝者のために、川崎宿下手、六郷川(多摩川)寄り入口付近に建てられた道標。その当時は船で六郷川を渡りこの道標を見て大師道へ進んだのです。戦後多摩川の道路改修で川崎大師境内に移設されました。川崎市内では最古の道標で川崎宿の貴重な記念物なので1988年(昭和63年)川崎市重要歴史記念物に指定されています。意外に大きくて高さは173cm。「大師河原 従是弘法大師江之道 災厄消除」と彫られています。

そろそろお暇(いとま)しようと西解脱門の方に向かっていたら「しょうづかの婆さん」がありました。「しょうづか=正塚」は三途の川(葬頭河)のことです。三途とは仏典から餓鬼道、畜生道、地獄道を意味します。死者が三途の川の渡し賃六文銭が無いと代わりに衣服を剥ぎ取る「奪衣婆(だつえば)」という老婆の鬼がいます。江戸時代に民間信仰の対象になりました。この「しょうづかの婆さん」も「奪衣婆(だつえば)」の変形でしょうか。「しょうづかの婆さん」は寛文11年(1671年)に祀らました。江戸時代には歯痛の人の信仰を集め、昨今は美貌を願う信徒に人気があるとお大師様のホームページに書かれていました。江戸時代に「奪衣婆」は閻魔大王の妻とされたこともあったので、第二次世界大戦までは木造の閻魔大王も一緒に祀られていたそうです。

西解脱門を出ました。右の大きな建物は信徒会館。

少し南に行くと至真門があります。

至真門を入ると薬師殿があります。1963年(昭和38年)創建。1970年(昭和45年)現在のインド風の堂宇になりました。2006年(平成18年)大師河原に新しい祈祷殿が完成し移転するまでは自動車交通安全祈祷殿でした。こちらも充分大きいのですが、後ほど東門前駅の【駅ぶら】でさらに巨大化したクローン(全く同じ形に見えました)の新祈祷殿にも行きます。とにかくその巨大さにビックリしますよ。

至真門を出て北に向かうと一般信徒の立入ができない清浄光院が見えました。檀家さんの菩提所です。

川崎大師駅の方に戻り若宮八幡宮に行きました。

八幡塚六郷神社(大田区東六 祭神・応仁天皇)の氏子たちが大師河原干拓のために移り住み、守護神として祀ったと言われています。八幡(応神天皇)の若宮(仁徳天皇)を祀るので若宮八幡宮です。仁徳天皇は淀川の治水工事を完成させたので干拓事業の守護神として崇めらていました。それで祭神になっています。

境内社。大鷲神社。

境内社。藤森稲荷神社。

長時間川崎大師近辺を【駅ぶら】していささか草臥れました。気を取り直して東門前駅に向かいます。

【駅ぶら03】京浜急行131 3月25日に改めて川崎大師駅北口に行って来たので金山神社などの写真とともにアップします。

(写真・記事/住田至朗)


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