川崎大師駅北口に行くために小島新田駅側の国道409号線大師道の踏切を渡りかけていたら何やらオナカに響く大排気量エンジンの音。電氣モーターで音も無く走るクルマが多い昨今「珍しいなぁ」と見たら、久しぶりにランボルギーニでした。最新のウラカン(スペイン語でハリケーン)大人しい5200cc/580馬力版です。値段もリーズナブルな2300万円程度(?!)。

1976年(昭和51年)-1978年(昭和53年)頃、日本ではスーパーカーブームと言うモノがあって(たぶん現在50歳代の)子供たちは必死でランボルギーニ・カウンタックの消しゴムを集めたものでした。筆者はもう大学生だったので消しゴムは集めませんでしたけど。(笑)

エキゾティックなランボルギーニも今やドイツ・アウディ社の傘下。安定して高品質なスポーツカーを作るメーカーです。まぁ正直言えば「巨大なエンジンを運ぶために特化したクルマ」という気もしますが「見た目」はとても美しい。

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クルマのコラムでは無いので正気に戻って(笑)踏切です。川崎大師駅を見ています。右にこれから行く北口があります。

小島新田駅側、これが国道409号線です。

国道409号線は川崎大師駅の手前で二手に分かれて西側の踏切を越えて駅の北側を通っています。奥右の味の素の工場から大きなトラックが頻繁に出てきて通ります。北口はメインの南口に比べずいぶん控え目です。

改札口も実質2つです。

横断歩道で国道を渡って大型トラックが頻繁に通る隙間を狙って駅舎を撮りました。初詣で三十万人の人が押し寄せる時はこちらの改札口も大混雑するのでしょうか。人混みが嫌いな筆者は高校生の時に明治神宮に初詣に行って懲りて以来、近所の神社にひっそり初詣するダケなのです。

イキナリですが、もう一度若宮八幡宮に行きました。前回はお大師様の広い境内をウロウロして草臥れていたので神社をアッサリ通り過ぎたダケだったのです。これは力石。昔、神サマの前で力比べを奉納した名残ですね。

大師河原酒合戦三百五十年記念の石碑があります。酒井雅楽頭の殿医茨城春朔が仮名草子「水鳥記」(寛文2年/1662年)に軍記物語を擬して書いた事で今でも詳細が残っています。慶安二年(1649年)大師河原開拓に成功し名主となった池上太郎左衛門幸広(大蛇丸底深)一党のもとに前橋藩主酒井忠清の臣、医師で儒学者の茨木春朔(地黄坊樽次)一党が乗り込み、総勢30名が大師河原で三日三晩酒を飲み強さを競ったという史実に残る酒合戦。何とも長閑な話ですが、これを記念して今も十月に「水鳥の祭」という酒飲み合戦のお祭りが行われます。水鳥は 水が「氵=さんずい」、鳥が「酉=とり」でお酒のことです。右には巨大な酒杯。

奥に境内社の金山神社があります。鉱山や鍛冶の神である金山比古神(かなやまひこのかみ)と金山比売神(かなやまひめのかみ)の二柱を祭神として祀っています。

読み「かなやま」が転訛したのか「金魔羅(かなまら)」様とも呼ばれ性や子孫繁栄の神サマとしても信仰されています。手前の絵馬殿にはこれを跨いでから参拝すると御利益があるという男根の生えた金床が置かれています。

社殿は施錠されていたので中は分かりませんがネットの写真などを見ると鞴(ふいご)や炉(ろ)が設置され鍛冶屋さんの作業場が再現されています。

おおらか過ぎてビックリしますが巨大な男根が飾られています。

こちらにも。(笑)

流石、八百万(やおよろず)と言われる神サマ、色々な神サマがいらっしゃいます。かなまら祭りのエリザベスみこしがまたピンク色ですごい!

若宮八幡宮の南側に祠があったので行ってみました。庚申塔の様です。

正徳3年(1713年)の文字が読める青面金剛(しょうめんこんごう)の彫られた庚申塔です。青面金剛は夜叉神で三尸の虫を抑える庚申信仰の御本尊。

個人的には麗々しく飾られた巨大寺院よりも路傍の庚申塔に惹かれます。

これにて川崎大師北口の補足は終了します。

次回は東門前駅に向かいます。【駅ぶら03】京浜急行132 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)