そう、最初に乗ったキハ40系は、2009年(平成21年)9月、青春18きっぷの鉄道旅第2弾で今でも大好きな只見線に乗りに行った時のキハ40-2024(会津若松側)とキハ40-2141(小出側)でした。トップ画像は、15時頃に到着した小出駅上越線ホームから撮った只見線ホーム。左が会津若松側です。当時失業していたので立川のハローワークに寄る必要があったので遅くなりました。

こちらは後側のキハ40-2141。この車両は2020年3月のダイヤ改正まで只見線会津若松駅~会津川口駅間で運用されていましたがキハE120形に置き換えられ廃車されました。

※2009年9月撮影

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会津若松側先頭車両のキハ40-2024。1979年(昭和54年)~1982年(昭和57年)に148両が製造された暖地仕様です。2015年(平成27年)廃車となりミャンマー国鉄に譲渡されヤンゴン環状線で活躍しています。

※2009年9月撮影

※以下の2009年撮影はオリジナルが4:3フレームなのでそのままご覧いただきます

JR東日本には旧国鉄から18両(キハ40全体では117両)が引き継がれました。暖地仕様なのに、寒冷な只見線、男鹿線などでも運用されていました。冷房化はされていません。

※2009年9月撮影

キハ40-2024には車体側面に出入口表示器が設置されています。表示器は使われないのでJR東日本の広告が入っていました。

※2009年9月撮影

こちらは「あなたの街から未来へのびる JR東日本」という広告?

※2009年9月撮影

※オリジナルの写真が縦型なので加工しています

キハ40-2024の車内。冷房化されていないので天井には懐かしい扇風機が付いています。

※2009年9月撮影

※オリジナルの写真が縦型なので加工しています

クロスシート。ここに坐って会津若松まで4時間45分です。まぁ只見駅に30分近く停まりますが。

※2009年9月撮影

こちらは小出側のキハ40-2141。こちらも冷房化はされていません。

※2009年9月撮影

連結部分、キハ40-2141は昭和57年(1982年)宇都宮の富士重工製。キハ40系2000番台製造の最終年度に作られた車両。平成3年(1991年)にJR東日本の郡山工場(現・郡山総合車両センター)で改造されていますが、ディーゼル機関は製造時のDMF15HSA搭載のままなのでどこを改造したのかな。

※2009年9月撮影

※オリジナルの写真が縦型なので加工しています

そろそろ出発時間ですが、今でも後悔しているのは、武蔵小金井駅から始発に乗って小出駅に昼頃に着いていれば13時17分発の会津若松行に乗れたことです。16時10分発の会津若松行最終列車は、只見駅発が18時、9月だったのでその先は暗くなる一方で撮影がほとんど出来なかったのです。

※2009年9月撮影

※オリジナルの写真が縦型なので加工しています

柿ノ木駅に停まりました。国鉄時代は仮乗降場でしたがJR東日本になって1987年(昭和62年)駅に昇格。しかし、筆者が通った後、2013年(平成25年)臨時駅に降格、全ての定期列車が通過となり、2015年(平成27年)3月に廃止されました。駅舎が駅名標の背後で見えないのが残念。駅名標を正面から撮っておけば良かった・・・。

※2009年9月撮影

※オリジナルの写真が縦型なので加工しています

2009年9月の会津若松行には筆者以外ほとんど乗客がいませんでした。哀しいなぁ。

※2009年9月撮影

大白川駅に到着。列車交換しました。キハ40-578です。500番台は主に東北エリア用の寒地仕様。この40-578は左沢線でトイレを撤去、ロングシート改造されワンマンカー運用されていました。只見線は車掌さんが乗車しています。会津若松に来てキハ40-578も東北地域本社色に塗り替えられています。この車両も2016年に廃車となりミャンマーに渡って活躍しています。

※2009年9月撮影

2009年の大白川駅名標には廃止された柿ノ木駅と田子倉駅が表示されていました。

※2009年9月撮影

2019年4月に撮った同じ駅名標。廃止された田子倉駅と柿ノ木駅の上に只見駅と入広瀬駅が描かれています。大白川駅から只見駅までは20.8kmもあります。

懐かしい只見線の旅、続けます。

(写真・記事/住田至朗)