※2009年12月撮影

すみません、コラムをアップする順番を間違えていました。本来、今回の内容は「244」です。呆けていてごめんなさい。

トップ画像は、現在はキハ40系が一台も残存しないJR東海、高山本線のキハ48-6501。岐阜駅に入線してきて、まだ尾灯が点いている状態で前照灯も点けたという面白いタイミングです。

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今回は、筆者の青春18きっぷ鉄道旅vol.3、2009年(平成21年)12月に「長征」と名付けた長い鉄道旅からキハ40系、その他の気動車を適宜拾ってゆきます。7日間で3364.6kmを青春18きっぷで移動しました。つまり各駅停車で1日当たり480km以上を一週間乗りたおした「長征」というワケです。途中で1日だけ高知で鉄道に乗らない休日を含めれば8日間の旅でした。筆者もまだ50代で体力があったのです。

実家のある中央線を始発で出発、東海道本線で岐阜駅に来ました。ここから高山本線で最初の宿営地高山駅に向かいます。

こちら側が先頭なので前照灯が点いています。キハ48-6501は、元はキハ48-1515(~19、他全17両)、寒地仕様、トイレの無い車両です。1994年(平成6年)から1998年(平成10年)にかけてカミンズ製C-DMF14HZBに機関換装され車番が6501(~17)に改番されました。残念ながら2015年(平成27年)までに全車廃車されています。ただし、キハ48-6517はミャンマーに渡って活躍しています。

ようやく前照灯だけになりました。もうすぐ13:13、出発です。もう見ることができないJR東海のキハ40系です。

※2009年12月撮影

キハ48-65011をホームから。

※2009年12月撮影

高山本線は岐阜駅から富山駅までの225.8km、全線単線非電化。岐阜駅から61.7kmの下油井駅で特急との列車交換待ちをしました。運転士さんも降りています。無人駅ですが有人時代の木造駅舎が左に見えています。

※2009年12月撮影

2019年7月に岐阜行の各駅停車で下油井駅に停車した時に撮った木造駅舎です。下車してゆっくり駅舎を撮ってくればよかったかなぁ。

駅名標。地図で調べても下油井という地名は近隣に見当たりません。駅の出来た昭和の初め頃にあった地名でしょうか。

明治8年(1875年)油井村が統合されて白山村になっています。明治22年(1889年)の町村制施行で白山村は西白川村に統合されます。昭和28年(1953年)西白川村は町制施行で白川町に改称されます。現在の駅所在地が岐阜県加茂郡白川町白山ですから、油井村を統合した白山村があった場所と考えられるので字などに油井の地名が残っていたのかもしれません。

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※2009年12月撮影

キハ85形1100番台貫通型の特急ひだが来ました。

※2009年12月撮影

同じ「特急ひだ」、2019年7月の高山駅です。

※2019年7月撮影

下呂駅で列車交換待ちしている高山行。岐阜側はキハ48-5508、こちらにはトイレが有ります。高山本線でキハ40系が運行された2015年(平成27年)6月末まで使用され、その後はミャンマー国鉄に譲渡されました。

※2009年12月撮影

この日は16:35に高山駅着。宿泊しました。この時に入った居酒屋がちょうどオープンしたてで、経営者の方が筆者と年齢的にも近くてすっかり仲良くなったのです。何と10年後、2019年7月に高山に行って泊まった時、その居酒屋を訪れて久闊を叙すことができました。10年間の経年変化でお互いに爺になっていて大笑い。10年前に呑んだ久寿玉純米で乾杯しました。

翌日の高山駅、冬至の朝でした。道路が凍っているのでスニーカーの筆者は超歩き難かった!

※2009年12月撮影

懐かしい高山の駅舎。

※2009年12月撮影

ちなみに十年後、現在の高山駅。たぶん、ほぼ同ポジです。雰囲気違い過ぎ・・・。(笑)

※2019年7月撮影

先は長いのでゆっくり行きます。お出かけできないので過去の旅を反芻(はんすう)してます。

(写真・記事/住田至朗)