※2014年3月撮影

トップ画像は、石勝線夕張支線(2019年廃止)の終着駅夕張に到着した始発列車。

新夕張駅は。1892年(明治25年)北海道炭礦鉄道が追分~夕張間の延伸開業時に紅葉山駅として設置されました。1906年(明治39年)国有化。1909年(明治42年)夕張線の名称となります。1981年(昭和56年)石勝線が開通し旧駅から10m北側の築堤上に移設され新夕張駅に改称されました。この時に旧夕張支線の一部(東側)が廃止され、楓駅、登川駅も廃止となっています。

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※2014年3月撮影

紅葉山駅時代の駅名標が残されています。2016年(平成28年)廃止され信号場になった十三里(とみさと)駅が表示されています。

※2014年3月撮影

乗継待1時間16分後、2019年3月いっぱいで廃止された夕張支線(新夕張~夕張)の18:50発夕張行に乗り換えて夕張駅に19:16到着。

しかし駅前にはタクシーがいません。ホテルまでは2km弱あって、明るい時間で雪が無ければ歩きますが、ロクに外灯の無い凍った国道を歩ける距離では無いのです。

ホテルに電話したらタクシーを手配してくれました。駅のすぐ裏にあるホテルは1泊2万円近くしていたので、タクシーで行っても1泊1万円の方がリーズナブルです。というか夕張市内に安いビジネスホテルなど皆無なのです。

その晩は、ホテル近所の飲み屋に行ったら、ご主人が東京の人。奥さんの実家のある夕張で脱サラして趣味の料理で居酒屋を始めたけど客が少ないのでバイトも雇えず一人で切り盛りしているとのこと。しかしその夜は、珍しく8人の団体が入って「てんてこ舞い」筆者は「後で良いですよ」と気長に飲んで待ちました。待った甲斐あって料理は美味しかった!

翌朝は「タクシー会社の営業は8時半から」と言われて、凍った国道を歩くのは辛いし怖い(地元のクルマはトバしてます)と悩んでいたら、ホテルスタッフが用事があるのでついでに駅まで乗せてくれるというので大助かり。クルマなら10分かからず夕張駅です。信号が少ないのです。

※2014年3月撮影

駅名標。夕張駅は、1892年(明治25年)北海道炭礦鉄道によって初代駅が、現在の夕張石炭博物館のある奥まった福住地区に作られました。正に炭鉱の近くでした。しかし炭鉱閉山で初代駅は不要になり、1985年(昭和60年)夕張市役所付近の町の中心に移設されました。(二代目夕張駅)しかし5年後の1990年(平成2年)現在のホテルマウントレースイ前に移転されました。(三代目夕張駅)初代駅から営業キロが2.1km短縮されました。

※2014年3月撮影

ホームの右側がホテルマウントレースイです。

※2014年3月撮影

ホームから新夕張駅方面を見ています。

※2014年3月撮影

夕張市は100%炭鉱で栄えた市でした。国勢調査によれば、最盛期の1960年に人口は116,908人、それが2015年には8,845人に減少しています。50年ほどで人口が10分の1以下(7.5%)になったのです。原因は炭鉱閉山後の産業が育っていないことと高齢化。2017年には65歳以上が人口の50%を越え、日本の市では初めて「限界自治体」になりました。

最盛期には26あった小学校もとうとう1校になってしまいました。中でも第二小学校は、ピーク時には児童数約2,800人、55学級という道内一のマンモス小学校だったのです。10校あった中学校も一つに、6校あった高校も一つです。

元々が平地のほとんど無い山間部に開かれた炭鉱のための町なのです。特産の夕張メロンで10万人の人口はとても支えられません。

始発列車が到着、数人が降りました。※トップ画像参照

キハ40-1715の行先標、樋から流れた水がそのまま凍っています。3月も下旬に近づいていますが、寒いワケです。

※2014年3月撮影

前照灯が点きました。7:08発の千歳行です。

※2014年3月撮影

明日に続きます。

(写真・文/住田至朗)