石勝線から室蘭本線【50代から始めた鉄道趣味】280

2020.05.24

※2014年3月撮影

トップ画像は、室蘭本線追分駅に停車する苫小牧行キハ40-356。日高本線に、1988年(昭和63年)新規に投入されたのが経済性優先の小型気動車キハ130形でした。しかし軽量車両故の薄い鋼板車体が極端な海沿いを走る日高本線には不向きで塩害腐食が進行するなど早期の置き換えが必要になります。その結果、元々日高本線で運用されていたキハ40が再登場します。軽快気動車キハ130形時代のダイヤを維持するために機関をオリジナルの250PSから330PSに換装したキハ40形350番台10両(351-360)が用意されたのです。塗装も独自のものでした。

石勝線夕張支線、夕張駅7:08発の千歳行に戻ります。途中の鹿ノ谷駅。雪が深いです。炭鉱全盛時代、鹿ノ谷駅前は、幹部従業員の宿舎が並ぶ高級住宅街だったそうです。

※2014年3月撮影

夕張支線の車窓。平地はほとんど見当たりません。山また山、これでは農耕は無理でしょう。

※2014年3月撮影

8:08、追分駅に到着しました。この駅は、1892年(明治25年)北海道炭礦鉄道室蘭線の駅として開業しています。室蘭本線と夕張線の合流点にあって石炭輸送の要衝でした。旧国鉄時代には追分機関区があり多数のD51蒸気機関車が配置されていました。扇型機関庫もあって引退したD51や9600形と一緒に大切にされていましたが、1976年(昭和51年)新たに無煙化で配置された新型ディーゼル機関車と共に火災で焼失してしまったのです。その後は追分運転区に改称されましたが、2005年(平成17年)岩見沢運転所に編入されて消滅しました。今でも追分駅構内には驚くほどの側線が残っていて往時を思わせます。

※2014年3月撮影

乗継待が22分あったので駅の外に出ました。

※2014年3月撮影

駅前には、1976年の火災で焼失したD51-465の動輪が飾られていました。動輪の左側レールは、1898年(明治31年)アメリカ、イリノイ社で製造・輸入され阪鶴鉄道(大阪~舞鶴間に鉄道を計画し一部開通した関西の私鉄)で使用されました。その後、大正5年(1916年)追分機関区転車台の側線に転用されていました。右側は、北海道官設鉄道(北海道庁)発注のアメリカ、カーネギー社1900年(明治33年)製造のレール。

※2014年3月撮影

しかし関西の私鉄のレールが何故、どの様にして北海道の機関区にやって来るのか、分かりません。追分駅には旧国鉄時代の車掌用制服(左は夏服、右は合服)と行先標が展示されていました。夕張駅が存在しなくなった現在、貴重です。

※2014年3月撮影

苫小牧行キハ40-356の行先標。

※2014年3月撮影

日高本線色というのかな。優駿浪漫の表記もあります。

※2014年3月撮影

東京オリンピックまで家に電気が無かったという友人の出身地、安平駅。

※2014年3月撮影

次は苫小牧です。江差線、夕張支線に続き、一部が廃止される日高本線に乗ります。

(写真・文/住田至朗)


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