函館本線砂原支線を巡る複雑な歴史【50代から始めた鉄道趣味】287

2020.05.31

※2014年3月撮影

さて、前回の続き。函館本線砂原支線の元になった渡島海岸鉄道やこのエリアで駅名に頻繁に現れる「渡島(おしま)」について、筆者も最初は何だか分からなかったのです。

簡単に言うと古い国名、本州側から見た北海道の入口部分を指す「渡島(わたりしま)」という言葉が元になっています。読み方は、津軽・南部の人たちがこのエリアを「おしま」と呼んだことに由来します。また北海道南西部を渡島半島と呼びます。

※2014年3月撮影

明治維新後に渡島国7郡が制定され函館支庁が誕生。明治末に渡島支庁に改称されます。エリアは北は長万部から八雲、森、七飯、北斗、木古内、福島、松前、函館などです。

北海道は旧国名で支庁エリアが分かれていました、根室、釧路、十勝、石狩、日高、胆振(いぶり)、後志(しりべし)、そしてこの渡島です。

2010年(平成22年)以降は、各支庁が北海道総合振興局に換わっています。

要は旧国名のエリアでした。さて函館本線砂原支線を進みます。

砂原(さわら)支線の名称の起源になった渡島砂原駅です。1927年(昭和2年)渡島海岸鉄道の砂原駅として開業しましたが、1945年(昭和20年)渡島海岸鉄道が国有化され函館本線支線上に新たに渡島砂原駅として再開業。1984年(昭和59年)無人化されています。JR東日本成田線の佐原駅と区別するために駅名に旧国名渡島が冠されています。旧国鉄時代に作られた有人時代の木造駅舎が使われています。建築当初の姿が保存されています。相対式ホーム2面2線で交換可能駅です。

※2014年3月撮影

渡島砂原駅から5.3km、渡島沼尻駅。1945年(昭和20年)信号場として開業しましたが、当初から旅客扱いをしていました。1987年(昭和62年)JR北海道に承継され駅に昇格。交換可能駅。創建当時の古い木造駅舎があるのですが写していません。残念。信号場だったので長大編成の列車同士が行き違いできますがホームは1両分でした。

※2014年3月撮影

渡島沼尻駅から5.4kmで鹿部駅。こちらは大沼電鉄の鹿部駅から歴史が始まります。

※2014年3月撮影

大沼電鉄は、1929年(昭和4年)1月、国有鉄道函館本線の大沼駅から海側の鹿部村をつなぐために電化路線で建設されました。しかし同年6月に駒ヶ岳が大噴火、鹿部村では全542戸の中、335戸が全焼。発電所が焼失し全線不通。8月末に復旧しました。1945年(昭和20年)不要不急路線として函館本線砂原支線の開業時に廃止となります。

しかし函館本線砂原支線の鹿部駅は市街地から7kmも離れていることや、砂原支線が冬期間運休することから旧路盤を再利用し1948年(昭和23年)新銚子口駅~鹿部温泉間が再開業。国鉄との直通輸送も始まり貨客とも順調に推移。

ところが1950年(昭和25年)川汲(かっくみ)峠を通る北海道道83号線が開通、バスとトラック便が函館と直通したことで大沼電鉄は大打撃を受け1952年(昭和27年)鉄道は廃止となり大沼電鉄は歴史から消えました。

※2014年3月撮影

現在の鹿部駅は1945年(昭和20年)国有鉄道函館本線砂原支線の駅として開業。上記の様に鹿部市街地に近い場所に1948年(昭和23年)大沼電鉄鹿部温泉駅が開業します。1949年(昭和24年)大沼電鉄鹿部温泉駅がオリジナルの鹿部駅に戻り、函館本線砂原支線鹿部駅は鷹待(たかまち)駅に改称されます。しかし大沼電鉄は1952年(昭和27年)廃止され鹿部駅も無くなりました。鷹待駅が鹿部駅に再改称。何とも複雑です。創建時(たぶん)の木造駅舎が魅力的です。

鹿部駅から7.8kmで銚子口駅。右に北海道駒ヶ岳が見えています。流石に住民は少なく、駅を中心にした半径500mの円内には、18世帯37人です。(2010年国勢調査)

※2014年3月撮影

大沼駅、渡島大野駅(現・新函館北斗駅)を経て七飯(ななえ)駅。当時は非電化でしたが、北海道新幹線開通後新函館北斗~五稜郭駅間は電化されました。この駅辺りから函館近郊、市街地になります。

※2014年3月撮影

長万部駅から3時間ほどかかって五稜郭駅に到着。時刻は9時半頃です。

※2014年3月撮影

駅名標には、北海道新幹線開通後道南いさりび鉄道に移管された七重浜が表記されています。乗継時間が1時間ほどあります。

(写真・文/住田至朗)


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