先人たちの労苦に感嘆します【50代から始めた鉄道趣味】370

2020.08.22

※2014年9月撮影

トップ画像は、土佐北川駅下りホームに停まる交換列車。

駅名標。新しい駅なんですね。1960年(昭和35年)開業。1986年(昭和61年)吉野川の支流、穴内川に沿っていた旧線が台風等の豪雨で頻繁に土砂崩れなどをおこすため、新たに1973年(昭和48年)に大杉トンネル(2,583m)、1986年(昭和61年)大豊トンネル(2,067m)で山間を抜ける新線に切り換えられました。これにより土佐北川駅は、1986年現在の橋梁上の駅になったのです。

※2014年9月撮影

穴内川の護岸壁上に旧線が通っていました。

※2014年9月撮影

阿波池田側は橋梁の終端部が大豊トンネルの坑口です。

※2014年9月撮影

高知側、先の左側で旧線が分岐していました。

※2014年9月撮影

土佐北川駅を出発。大豊トンネルに入ります。後方展望。

※2014年9月撮影

土佐穴内駅~大田口駅間も1954年(昭和29年)和田トンネル(1,198m)を経由する新線になっています。また1968年(昭和43年)大歩危トンネル(4,179m)によって新線に切り換えられています。

この様に土讃線は、世界有数の大断層地帯である中央構造線の造山運動で形成された四国山地を貫いて吉野川、穴内川沿いを走る風光明媚な車窓でしたが、より安全なトンネルによる新線に切り換えられることで阿波池田~土佐山田間67.4kmのうち35%近い約24kmがトンネル区間なのです。しかも電化を阻む狭小なトンネルも多く蒸気機関車時代は煙害がひどく死者もでました。

当然、人口希薄地帯ですから、優等列車を除く運行本数も多くはありません。

大歩危トンネルで県境を越え、徳島県に入りました。大歩危駅です。祖谷(いや)の葛橋は国指定の重要有形民俗文化財ですが、駅前からバスで30分ほどかかります。徳島駅ホームにある祖谷そば「麺屋れもん」の蕎麦が好きなのでイヤでも祖谷という地名は覚えています。

※2014年9月撮影

大歩危駅を出ました。後方展望が山並みを見せてくれます。

※2014年9月撮影

右に白く見えるのは吉野川を渡る大歩危橋。

※2014年9月撮影

第2吉野川橋梁を渡って左岸を行きます。小歩危駅は左岸にあります。後方展望です。

※2014年9月撮影

駅名標。1935年(昭和10年)開業時は、西宇駅でした。駅所在地は徳島県三好市山城町西宇なのです。1950年(昭和25年)小歩危駅に改称。

※2014年9月撮影

キハ54形にトイレはありません。小歩危駅でトイレ休憩です。それ程長くは停まっていなかったと思いますが、筆者も小用をたしました。

※2014年9月撮影

小歩危駅を出発。断崖を削って無理矢理に作られた駅です。

※2014年9月撮影

吉野川の流れを見ながら進みます。

※2014年9月撮影

しかし、本当にこの様な断崖絶壁の間によくまぁ線路を敷いたものだと通る度に感嘆します。

※筆者は既にコラムなどで青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格などは2014年当時のものです。

(写真・文/住田至朗)


LINEで送る

オススメ記事

こちらの記事もオススメです