飯田線 平和な区間が長いのよ【50代から始めた鉄道趣味】418
※2015年8月撮影
トップ画像は、宮田駅での列車交換。国鉄211系直流近郊形電車。
伊那谷の中心部に入ってきました。伊那北駅。1912年(明治45年)開業。駅近隣に、伊那北高校、高遠高校、上伊那農業高校などがあって学生さんの多い駅ですが、夏休みです。
※2015年8月撮影
隣の伊那の中心伊那市駅までは900m。歩いても15分程です。市街地が続いています。
※2015年8月撮影
伊那市駅。1912年(明治45年)伊那町駅として開業。1954年(昭和29年)伊那町が市制施行で伊那市になり駅名も伊那市駅に改称。
※2015年8月撮影
25年以上経ちましたが、1993年(平成5年)8月から11月まで、筆者はこの駅近くのビジネスホテルで暮らしていました。今は閉鎖された「ラリーキッズ伊那」というサーキットで開催したカートのイベントのプロデューサーとして現地に缶詰になっていたのです。鈴木亜久里、高木虎之介、御大高橋国光、その後F1フェラーリ~トヨタで活躍したミカ・サロ(フィンランド出身の穏やかな紳士でした 仲良く連れションしたよ)など多くのトップ・ドライバーが参加しました。筆者はテレビの情報生番組に出演したり、三ヶ月間サーキット・オーナーのHONDA NSXを借りて長野、名古屋と走り回りました。これが実はスゴク楽しかった。ヒマな時間は山の中を走っていました。(笑)
当時、毎晩食べたのが地元のお蕎麦。「けたぐり」という馬の内臓の煮物で麦酒を飲んで、日本酒に替えて鴨焼き、仕上げに手打ちそばという幸福な毎日。ラリーキッズのスタッフが河豚の調理免許を持つ変わった人で、彼が作ってくれる昼飯も美味かったね。
車窓から並べられた庚申塚が見えました。
※2015年8月撮影
さわたり、と有名なカメラマンの名前で読みたくなりますが、駅は「沢渡/さわんど」。1913年(大正2年)開業。この駅の木造駅舎、撮っておけば良かった・・・。2020年に新しい駅舎に建て替えられました。
※2015年8月撮影
この沢渡駅から次の赤木駅までの間に40パーミルというJRで最もきつい勾配があります。蒸気機関車ではとても登れませんが、開通時から電化されていた飯田線ならではです。
勾配区間ではありません。平和な車窓。
※2015年8月撮影
宮田駅で列車交換します。みやだと濁って読みます。1913年(大正2年)開業。不思議なのは開業時は「みやた」駅なのです。1956年(昭和31年)「みやだ」に呼称が変更されました。駅のあるのは宮田(みやだ)村なのです。
※2015年8月撮影
岡谷から乗っている豊橋行JR東海313系直流近郊形電車。加速が強力ですが静かで滑らか。素晴らしい乗り心地。快適なエアコン。キハ40系愛好者ですが「電車は文化的だなぁ」と感心しました。
※2015年8月撮影
下りホーム。35℃という暑さが伝わってくるでしょ?
※2015年8月撮影
飯田線は、辰野方面が下り、筆者の乗る豊橋方面が上りです。
時間があったので駅舎に、駅前広場です。
※2015年8月撮影
駅舎内の時刻表。11時ちょうどの上り下りです。トップ画像は、この時の交換列車。
※2015年8月撮影
駅舎正面。1998年(平成10年)に改築されたものです。
※2015年8月撮影
天気良いです。この先、飯田線は少しずつ秘境駅区間に近づきます。
※筆者は既にコラムなどで青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。
※価格などは2015年当時のものです。
(写真・文/住田至朗)