※2015年8月撮影

トップ画像は、夜明駅ホームの日田彦山線日田行列車。

前回、香春駅まで進んだ日田行は田川伊田駅に着きます。

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その手前から、元は国鉄田川線・現平成筑豊鉄道田川線と供用区間があります。進行方向が逆になりますが【私鉄に乗ろう 61】平成筑豊鉄道田川線 その1(10)で2年前にその部分を書いています。

ありゃ、状況を正確に記憶していないのですが、1982年(昭和57年)に改称されるまでの古い国鉄様式の駅名標「いた」と見えます。残念なことに信号機が遮っていますが。1989年(昭和64年)平成筑豊鉄道に転換される前、JR田川線・伊田線時代の駅名標が平成筑豊鉄道のホームに残っていたのかもしれません。

※2015年8月撮影

ここからは、2017年(平成29年)7月の九州北部豪雨で甚大な被害を受け現在も不通になっている添田駅から南の区間に入ります。

歓遊舎ひこさん駅。2008年(平成20年)開業の新しい駅です。10年も経たないウチに不通になってしまいました。「道の駅歓遊舎ひこさん」前に作られた、と言っても過言ではありません。

※2015年8月撮影

豊前桝田駅は待合室にあった運賃表です。1942年(昭和17年)開業の駅。駅間が1.6kmの歓遊舎ひこさん駅は160円ですが、駅間4.0kmの彦山駅までは210円。

※2015年8月撮影

彦山駅に着きました。列車交換します。

※2015年8月撮影

駅名標。1942年(昭和17年)開業。1945年(昭和20年)彦山駅から500m夜明側の二又トンネル内に帝国陸軍が秘匿していた火薬を進駐軍が焼却処理して大爆発、死者147人という二又隧道爆発事故が発生、彦山駅舎も被災しました。とにかく山が半分吹き飛んでしまったという凄まじい爆発でした。日田彦山線はまだ全線開通前で小倉~添田間は添田線、添田~彦山間は田川線、夜明~宝珠山間は彦山線でした。彦山~筑前岩屋間には、爆発事故のあった二又トンネル(100m)の他に吉木トンネル(59m)が完成していましたが、釈迦岳トンネル(4,380m)が戦争激化で工事が止まっていたのです。この区間の開通は1956年(昭和31年)になります。

※2015年8月撮影

開業時の1942年(昭和17年)建築の大きな木造駅舎が使われています。

※2015年8月撮影

これは駅の隣にある商店。洋品店さんだったかな。

※2015年8月撮影

代行バスによる不通区間、近々駅舎を撮影に行く計画です。では不通区間、続きます。

※コラムを書いているのは2020年7月

※筆者は既にコラムなどで青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格、駅などは2015年当時のものです。

(写真・文/住田至朗)