JR北海道は2020(令和2)年5月7日をもって札沼線・新十津川~北海道医療大学間を廃止することを決定しました。同日は多くの人に最終列車が見送られる予定でしたが、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言を受けて4月17日をもって全面運休となり、突然の幕切れを迎えました。「廃線1年後の沿線を訪ねる旅」。最終章は終着駅「新十津川」の今をお届けします。

【前回】突然幕を下ろした札沼線非電化区間 廃止1年後の沿線を訪ねて(4)
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※鉄道チャンネル編集部:一部を除き、写真は2021年4月取材時に撮影されたものです。

南下徳富駅

南下徳富駅は取り壊しが決定している

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南下徳富駅は、1956(昭和31)年11月16日に開業しました。2012(平成24)年に木造駅舎が撤去されてからは木造ホーム1本だけになっています。札沼線によって水田が分断されているため線路跡地を水田に戻すことが計画されており、この光景ももうすぐ見納めになります。

下徳富駅

積雪で枝が折れた大木

下徳富駅は、1934(昭和9)年10月10日に開業しました。かつては島式ホーム1面2線を有し、駅舎左横に貨物ホームがありました。駅周辺は農作物を保管する倉庫に囲まれ、貨物ホームの跡に往時を偲ぶことができます。駅の前に植えられた大木が下徳富駅のシンボルでしたが、積雪に耐え切れなかったのか、折れた枝が地面に転がっていました。駅として機能していた時は、ある程度整備されていましたが、解体が決まった現在は手つかずのまま。90年近くも歴史がある駅としては寂しい結末となりました。

終着駅「新十津川駅」に到着

賑わいを見せた面影は残っていない

この旅の終着、新十津川駅に到着しました。1931(昭和6)年10月10日に札沼北線の駅のひとつとして開業し、1972(昭和47)年6月19日に、当駅~石狩沼田間が廃止され終着駅になりました。時代から取り残されたような駅が注目されたのは、2016(平成28)年のこと。浦臼~当駅間の運行が1日1往復のみとなり、午前中に最終列車が出発することから「日本一最終列車が早い駅」として知られるようになりました。

国鉄時代に「いい旅チャレンジ2万キロ」で訪れた人も多いはず

札沼線非電化区間の廃止が決定すると、あちこちのメディアで取り上げられるようになりました。新十津川駅前には観光協会が「しんとつかわ駅市」を開店し、駅前の軽食・喫茶「寺子屋愛光」では鉄道ファンを見込んだ業者からの委託を受けて鉄道グッズが販売されるなど賑わいを見せていました。

観光案内所も撤去されて静かな駅に戻る

廃止後に訪れた新十津川駅は物置小屋のよう。駅名標が外され駅舎は雪に埋もれていました。2020年4月27日に沿線4町の住民向けの「ラストラン運行」を行う予定でしたが、それも叶わず。新型コロナウイルス拡散防止を受けてJR北海道は4月16日の夜に翌日をもって札沼線廃止対象区間の全面運休を発表。この時間に公表することは異例であり同社の苦渋の決断が伺えます。

新十津川駅は取り壊されることが決定している

札沼線非電化区間廃止にともない増加する鉄道ファンを新十津川町の人たちは、どのように見ていたのでしょうか。町内で商店を営むご主人は次のように語ってくれました。

「たくさんの人が来たことで恩恵を受けたのはわずかな人だけ。鉄道ファンは新十津川に来ても折り返しの列車で戻るかバスで函館本線・滝川駅に移動してしまい、経済効果は期待できませんでした」

「寺子屋愛光」も駅と共に幕を下ろした

高齢者の憩いの場だった駅前の「寺子屋愛光」は廃業してしまったようです。犬を散歩させているご婦人に尋ねると「札沼線の廃止の時に店を閉めたみたいですよ」とのこと。廃止前に訪れたとき「新十津川に町外から人が来るのは珍しい。全国の人が店に来てくれて嬉しい」と言っていた女性店主の笑顔が浮かんでは消えてゆきました。

文/写真:吉田匡和