©️Fujiko-Pro

※2021年3月撮影

トップ画像は、新宿線田無駅東側踏切から、前回も登場した2番ホームの各駅停車西武新宿行「DORAEMON-GO!」。

田無駅南口を出て東の踏切に向かいます。雰囲気は飲食店街。

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※2021年3月撮影

武蔵境通りの踏切です。南に進めばJR中央線武蔵境駅にあたります。西武多摩川線の駅でもあります。

※2021年3月撮影

踏切から田無駅ホーム。トップ画像は、ほぼ同じ場所から望遠レンズで撮影しています。

※2021年3月撮影

反対の西武新宿駅側。この後線路の左(北)側を奥に向かって歩いて行きます。

※2021年3月撮影

踏切の西側は田無駅南口、ペデストリアンデッキが見えます。

※2021年3月撮影

新宿線沿いを東に進みます。「ねこカフェ」がありますね。愛想の良いネコちゃんたちがいるのかな。

※2021年3月撮影

余談ですが、筆者は“気難しい”犬や猫に好かれるというヘンな特技(?)があります。家族以外の前には絶対に姿を現さない猫が寄ってきたりするのです。余程動物から見ても「緊張感」を欠いているのでしょうか。(笑)

この通りは「新武蔵境通り」です。新宿線は「第2田無架道橋」と表記されていました。ここを北に左折します。

※2021年3月撮影

青梅街道との交差点。左奥に田無山總持寺があります。

※2021年3月撮影

青梅街道を東に右折してすぐに田無神社があります。

※2021年3月撮影

左の札に拠れば、田無神社の石段・石垣は鎌倉時代初期に創建された田無神社(尉殿大権現)が江戸時代初期にこの地に遷座された時に作られたと伝わっています。石を一つ一つ削り組み合わせた江戸初期の職人技です。

※2021年3月撮影

田無神社は、鎌倉期に田無北部、谷戸の宮山に龍神を祀る尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)として始まっています。江戸時代になり徳川家康が青梅街道を開いた際に谷戸の住人が青梅街道沿いに移住し宿場町田無を造営。その時に尉殿大権現も田無に移されました。1872年(明治5年)尉殿大権現は熊野神社、八幡神社を合祀。田無神社となります。龍神以外にも多くの神々を祀る様になったのです。

※2021年3月撮影

青梅街道からの参道、一の鳥居脇に「赤龍」があります。

※2021年3月撮影

上方落語の二代目三遊亭百生の“天王寺詣り”に「神様のデパート」というフレーズが出てきます。まさにこの田無神社は神様だらけなのです。

筆者は、この二代目三遊亭百生さんの噺が大好き。百生さんの語り口は、筆者が子供の頃に大阪の下町出身の父親の実家(町工場)に遊びに行くと近所のおじさんたちが話していた「超ディープな大阪弁」なのです。あの立川談志が百生の高座を聴いて上方落語の面白さを知ったと言ったくらいですから、とにかく素晴らしい大阪言葉です。

余談はさておき、次回は、田無神社をご覧いただきます。

(写真・文章/住田至朗)

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。