JR中央線・青梅線・南武線、多摩モノレールが接する鉄道ターミナル、立川。

多摩モノレールの立川北駅からふたつめに、立飛(たちひ)という駅がある。

この駅の西側には、その駅名の由来を連想させる空港がある。

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陸上自衛隊 立川駐屯地 立川飛行場。かつて東京飛行場と称した空港で、日本初の定期航路もここ立川から飛び立った。立川は当時「空の都」とも呼ばれた。

立飛駅は、この立川飛行場や、大正から昭和初期にかけて一式戦闘機「隼」などをつくった立川飛行機という企業の存在をいまに伝えている駅のひとつ。

いまGoogle マップで立川駅をみると、立川駅の北西(左上)に、きれいに区画されて残る立川飛行場、立川駅の北東(右上)に陸上自衛隊 東立川駐屯地がみえる。

この東立川駐屯地にズームしていくと、敷地のすぐ東側(右側)に、線路跡と思しき曲線と直線がみえてくる。南側では、中央線と接続していたようにもみえる。

昭和初期の軍需を支えた貨物路線

これが、中央線立川駅と立川飛行場を結んでいた、立川飛行場引き込み線、立飛線。昭和初期の軍需を支えた貨物路線のひとつ。

画像は国土地理院1950~1960年代の立川上空。立川飛行場引き込み線は、立川駅の東京寄りで分岐し、現在の東立川駐屯地のすぐ東側(右側)を北上し、進路を西(左)へと変え、立川飛行場へとむかっていた。

立川飛行場へはおもに2線に分岐して線路が引き込まれていた。この東立川駐屯地へも引き込み線があったのがみえる。

いまこの立川飛行場引き込み線跡の一部は、緑道として整備され、途中には古レールを使ったゲートなどもあり、ここが鉄道軌道跡だったことを静かに伝えている。