真間の継橋やまず通わむ【駅ぶら05】京成電鉄 本線56

2022.10.19

※2022年6月撮影

トップ画像は、高架下の国府台駅出入口。旧松戸街道が通っています。

旧松戸街道を北に歩きました。駅を遠望しています。

※2022年6月撮影

東に進路をとって真間の継橋を目指します。

※2022年6月撮影

江戸川に注ぐ真間川が京成線と並行して東西に流れています。橋から上流側を見ています。

※2022年6月撮影

橋のたもとに市川市教育委員会による看板があります。万葉集の歌が書かれています。

※2022年6月撮影

引かれているのは万葉集巻14の雑歌

「葛飾の真間の浦廻を漕ぐ船の 船人騒く波立つらしも」

教育委員会の説明を要約します。

「万葉集の時代、江戸川河口は今よりも北にあり、東京湾の海岸線も北に入り込んで入り江になっていました。真間の浦廻(うらみ)はこの河口域周辺、海の干満と川の流れで水流が複雑になり波が高くなることがあったのです。〈中略〉浦廻を見下ろす国府台には下総国府の中心があり、浦廻には国府の港が置かれたと思われます。この港を中心に海と川が結ばれ人やものが行き交う賑わいが歌の背景にあります。」

森閑とした静かな住宅地の風景からは想像が難しい古代の姿です。

弘法寺の参道を北に歩くと真間の継橋がありました。

※2022年6月撮影

橋の横に立つ市川市教育委員会の説明看板も要約します。

「昔、市川市北部の台地と南の砂州の間に、江戸川に流れ込む真間川河口から東に奥深い「真間の入り江」がありました。手児奈の伝説と結びつけて広く伝えられていました。国府台に下総国府が置かれた頃、上総の国府とつなぐ官道が市川砂州上を通っており、入り江口の幾つもの砂州には複数の橋が架け渡され万葉集に「真間の継橋」として詠われました。

足の音せず行かむ駒もが葛飾の 真間の継橋やまず通わむ(足音せずに行く駒がほしい 葛飾の真間の継橋をいつも手児奈のもとに通いたいものだ)

この詠み人知らずの歌が、都びとに知れ渡ったのでした。」

真間周辺には、継橋の他にも手児奈の奥津城(墓)など万葉集に詠まれた旧跡が多くあります。〈後略〉」

※2022年6月撮影

この真間の入り江は幕末に歌川広重の「名所江戸百景」にも「真間の紅葉手児奈の社継はし」と題して描かれました。

ご覧の様に現在は宅地化されて砂州の面影は全くありません。擬宝珠のついた真っ赤な欄干の下に水はないのです。

※2022年6月撮影

次回は、手児奈霊神堂に行きます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。


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