※2022年6月撮影

トップ画像は、「真間の継橋」から弘法寺の参道を北に3-40m先の手児奈霊神堂。

市川市教育委員会の案内を要約します。

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「奈良時代はじめ山部赤人が下総国府を訪れたという伝承があってその時に真間の手児奈を詠ったものが万葉集に収録されています。

われも見つ人にも告げむ葛飾の 真間の手児名(奈)が奥津城処

手児奈霊堂は、この奥津城処(墓所)と伝えられる地に建てられ、文亀元年(1501)に弘法寺(ぐほうじ)の七世日与上人が、手児奈の霊を祀る霊堂として世に広めたといいます。

手児奈の物語は、美人故多くの男性から求婚され、自分のために人々が争うことに心を痛め真間の入り江に身を沈めたとか、継母に仕え真間の井の水を汲んで孝養を尽くしたなど様々な形で伝承されています。〈後略〉」

市川市のサイトに「市川のむかし話『真間の手児奈』」がありました。

前回の余談で触れた上田秋成「雨月物語」巻之二「浅茅が宿」には「真間の手児女」について書かれ、次の歌が記されます。いにしへの真間の手児女をかくばかり 恋ひてしあらん真間のてこなを。

門横の願掛け石には、寛政七年(1795年)9月吉日の日付。200年以上前の願いとは何だったのか、読めませんでした。

※2022年6月撮影

参道は住宅の間。

※2022年6月撮影

ここにも門があります。神社の玉垣かもしれません。

※2022年6月撮影

南無手児奈霊神という幟がたくさん並んでいます。神道なのか仏教なのか判然としません。

※2022年6月撮影

手水舎には浄行菩薩像。でも神道の注連縄に紙垂(しで)が下がっています。神仏混淆(しんぶつこんこう)でしょうか。手児奈霊神堂は、あくまで弘法寺の施設です。でも神様?

※2022年6月撮影

本堂拝殿? 参拝者を祓い清め神様を招く「本坪鈴」が付いています。堂中にも紙垂がたくさん下がっていてここは神社です。安産・縁結びの神様として信仰されています。神様にご挨拶。

※2022年6月撮影

手児奈霊神堂と同じ敷地内に池を挟んで真間稲荷神社があります。こちらにはちゃんと鳥居。

※2022年6月撮影

これが池です。

※2022年6月撮影

真間稲荷神社の祭神は、五穀の神で天照大神(アマテラス)の食事を司る豊受姫命(とようけひめのみこと)。学門の神、天神様(菅原道真公)も明治末頃に合祀されています。

※2022年6月撮影

では駅の方に戻り江戸川の土手に行きます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。