※2022年6月撮影

トップ画像は「雷電の墓」の案内。前回の階段を降りて成田街道に出て北に歩きコンビニエンスストアの角を左折、50mほどで「雷電の墓 0.5km」の案内がありました。

200mも歩かずにお墓に到着。保育園の園庭を越えた場所にあります。

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※2022年6月撮影

崖に面していて奥にも続いています。崖の右上が日蓮宗妙伝寺の墓地になっています。

※2022年6月撮影

3基の右端が「雷電」の墓の様です。

※2022年6月撮影

どうにか墓石正面右側「雷聲院釈関高為輪信士」と読めました。右の石碑「雷電為右衞門夫妻と一女の墓」に説明があります。

※2022年6月撮影

石碑の内容。

「雷電為右衞門は文政八年(1825)2月11日没、59才(数え)雷電夫人のおはんは文政10年1月20日没、61才 二人の間に一女(名不詳)があり寛政10年(1798)7月8日、幼く没していることが墓石からうかがわれます 全国に4ヵ所ある「雷電の墓」のうち、家族が眠るのはここだけです ここはもと淨行寺(日蓮宗)の墓地でおはんの生家の菩提寺だったところです。」

雷電為右衞門は、明和4年(1767年)信州生まれ、とにかく強かったといいます。通算成績は、254勝10敗2分、生涯の勝率9割6分2厘。相撲に詳しくないので、凄さがイマイチ分かりませんが、勝率96.2%は確かに異様に強い。(笑)

トップ画像の場所に戻り、坂を上って「雷電為右衞門顕彰碑」を見に行きます。

※2022年6月撮影

曲がり角を誤って1本東側の道を歩いていました。そのおかげで熊野神社を発見。

※2022年6月撮影

お墓よりも神社の方がどちらかと言えば(個人的に)好きです。神サマにご挨拶。

※2022年6月撮影

正しい曲がり角を見つけました。

※2022年6月撮影

「雷電為右衞門顕彰碑」の案内があります。

※2022年6月撮影

墓があったのは「すみれにこにこホーム」の横でした。顕彰碑は「すみれ保育園」の先にあります。

※2022年6月撮影

次回は巨大な雷電顕彰碑をご覧いただきます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。