甘藷(サツマイモ)は専ら飲用です【駅ぶら05】京成千葉線193
※2022年7月撮影
トップ画像は、京成幕張駅ホーム。乗って来た新京成車両の普通千葉中央行が出発しました。キャラクター電車です。
改札口・駅舎は京成幕張本郷駅側にあります。
※2022年7月撮影
駅名標。
※2022年7月撮影
京成幕張駅は、1921年(大正10年)幕張駅として開業しました。1931年(昭和6年)京成幕張駅に改称。
上り線側に構内踏切と駅舎があります。
※2022年7月撮影
構内踏切を渡ります。
※2022年7月撮影
改札口の外から。
※2022年7月撮影
きっぷ運賃表。
※2022年7月撮影
駅前はバスロータリーになっています。
※2022年7月撮影
路線バスが出発した後に撮りました。
※2022年7月撮影
駅前を南西に10mほど歩くと「千葉県指定史跡 青木昆陽甘藷試作地」があります。
※2022年7月撮影
千葉県教育委員会の案内看板の内容を写します。
「この地は、享保20年(1735)八代将軍吉宗の命により、青木昆陽が薩摩芋を試験栽培し、成功した所です。
昆陽は江戸日本橋の魚商の子で本名を文蔵と称し、京都で儒学を伊藤東涯に学びました。江戸に帰ったのち町奉行大岡越前守に抜擢され、幕府書物方に登用され古文書調査・蘭学研究に励む一方「藩薯考」を著し甘藷栽培を説き、救荒食として飢饉に備えるように吉宗に上書し認められました。甘藷は小石川養生園(現植物園)、下総馬加(まか)村(現在地)、上総豊海(九十九里町)で試作されましたが、現在地のみが成功しました。
甘藷栽培を紹介した人は昆陽以前にもいましたが、関東地方に広めたのは昆陽が最初であり、幕府の事業として実施したため全国に影響を与えました。その後幕府における甘藷栽培は次第に増え、天明の大飢饉にも甘藷のおかげで餓死者は皆無であったと伝えています。天保年間(1830~40)には、検見川で甘藷から飴も製造されるようになりました。 平成9年3月」
ここでは馬加(まか)村と読まれていますが、他の場所では「まくわり」「まくはり」などと読まれていることもあり、混乱します。
奥に石碑(左)がありますが葉陰で文字が読めません。千葉県のサイトなどで見ると「昆陽先生甘藷試作之地」と刻まれている様です。右は顕彰碑。
※2022年7月撮影
甘藷(サツマイモ)を筆者は専ら飲用(芋焼酎)しています。(笑)
やはり鹿児島県が主産地で、千葉県は県のサイトに由れば国内で3番目の産地。
散歩は、まだ始まったばかりです。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。