※2022年7月撮影

トップ画像、「千葉県指定史跡 青木昆陽甘藷試作地」の道をはさんだ反対側、「昆陽神社」という鳥居があります。サツマイモを植えた青木昆陽氏がカミサマになっています。・・・と言いながら鳥居の正面の社殿は秋葉神社という奇妙な配置。

右側が昆陽神社です。

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※2022年7月撮影

同じ境内の南西側に秋葉神社の鳥居があります。

※2022年7月撮影

ここにライオンズクラブが奉納した由緒記がありました。それによると

「秋葉神社

祭神:火之迦具土大神(ひのかぐつらのおおかみ)火の神様。

由来:建立は不明。通称権現様。古来よりの地名に権現山、権現町と称し、親しまれた。享保年間(1716~1736)に氏子から土地を寄贈されこの地に移る。江戸時代、境内地に昆陽神社を傍に据える。一時期県道工事で移転、道路(地下化)開通後昆陽神社と共に新社殿を運営。平成18年11月、遷座。

昆陽神社

祭神:青木昆陽

由来:青木昆陽没後、天明の飢饉が起きた。甘藷栽培により馬加村では餓死者が出なかった。昆陽は「芋神さま」と敬われ、弘化三年(1846)秋葉神社境内に祀られた。」

社殿の横に石碑が集められています。筆者が見たところ子安講(文政三年)、女人講(判読できず)、右の社は子安明神(記載無)でした。

※2022年7月撮影

石碑群は、近隣にあったのもが秋葉神社境内に集められたものでしょうか。判読できた範囲では「三十三夜講」「出羽三山信仰」「金比羅神社」などの供養塔でした。

※2022年7月撮影

境内の地下を県道のトンネルが通り、人道地下道もあります。そのためか否かは分かりませんが全く樹木がない更地状態で京成幕張駅が見えます。

※2022年7月撮影

秋葉神社の南西側に境内下を通る県道地下トンネルの入口があります。

※2022年7月撮影

その脇を通って「房総往還」に沿って子守(こまもり)神社を目指して歩きます。

※2022年7月撮影

秋葉/昆陽神社から1km足らず、子守神社の鳥居が見えました。

※2022年7月撮影

住宅街のただ中に鳥居がたっています。

※2022年7月撮影

なかなか立派な拝殿。幕張地区の総鎮守。旧社格は村社。「下総三山の七年祭り」に参加する際の役割が子守。それが社名の元になった様です。

※2022年7月撮影

境内の掲示に由れば「神社の創設は不明。最古の記録では、千葉介平常胤の四男、大須賀四郎平胤信が、父よりこの幕張の地を譲り受けて城を築いた。建久四年(1194)五月、源頼朝の命により富士の御狩場に赴く際に当社へ祈願し、良い成果が得られた。その御礼として社殿を造営し、胤信の次男、中須加神太夫平正胤をその社司神家とし、武運長久、五穀豊穣、郷中家内安全並びに氏子家内安全諸祈願をさせた。〈後略〉」

やはり千葉氏因縁の神社です。

境内には、近隣が埋めたてられる前は海岸近くにあった神社らしく厳島神社。

※2022年7月撮影

神社の西側公道から。拝殿後ろの本殿がよく見えました。

※2022年7月撮影

次回は房総往還沿いの大須賀山に向かいます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。