※2023年5月撮影

トップ画像は、仙川駅北側の甲州街道を西に歩いて仙川2丁目の歩道橋。右が「キユーピー株式会社 仙川グループオフィス 仙川kewport」。奥は新宿方面になります。

八王子方面、右に旧甲州街道が分岐しています。

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※2023年5月撮影

甲州街道と旧甲州街道の間に自動車修理工場があります。

※2023年5月撮影

この先が「滝坂」下っています。

※2023年5月撮影

自動車修理工場の隣に文政13年(1830年)に建立されたと伝わる薬師如来座像。左のお地蔵さんには頭部がありません。

※2023年5月撮影

滝坂の下の方まで来ましたが、探している石碑が見当たりません。

※2023年5月撮影

2005年(平成17年)12月に撮影した写真。「瀧坂旧道 馬宿 川口屋」と刻まれた石碑がありました。かつて甲州道の時代、国分寺崖線を登り降りする滝坂は急峻な坂で馬を世話する馬宿があったのです。

※2005年12月撮影

こちらも滝坂にあった「深大寺元三大師参詣の道標」、現在は深大寺境内に置かれています。

※2023年5月撮影

1987年(昭和62年)調布市指定有形民俗文化財に指定されています。調布市教育委員会の案内は以下。

「この石碑は、常花講の人たちが、深大寺の元三大師堂への道しるべとして、甲州街道の滝坂(現・仙川町2丁目4番地)に立てた道標です。正面には「厄除 御自作 元三大師 常花講」、右側面には「是ヨリ大師尊参詣道 石原宿迄五丁近」と刻まれ、背面と左側面の銘文からは、この道標が元禄16年(1703)に立てられ、文政3年(1820)に七八世澄然により再建されたことが分かります。また、台石には深大寺村のほか、登戸、三田、麻布、赤羽などの住民の名が刻まれており、元三大師が近郷だけでなく、広く信仰を集めていたことがうかがえます。

参詣者たちは、甲州街道からこの道標地点で北西に入り、現在の三鷹市境を経て、青渭神社前を通り、深大寺に詣でたもので、当時の古道は今でもたどることができます。

道標は、昭和39年、東京オリンピック開催に伴う国道20号線(甲州街道)拡幅工事のため取り除かれましたが、往時の深大寺参詣の状況を知るうえで貴重な資料であることから、現在地に移されました。

平成28年3月31日 調布市教育委員会」

甲州街道の国分寺崖線上の歩道、ここから八王子に向けて下り坂です。

※2023年5月撮影

京王線の先ほど渡った跨線橋よりも西側の跨線橋まで戻ってきました。

※2023年5月撮影

駅横の跨線橋と商業施設。その間にも跨線橋があります。

※2023年5月撮影

次回は、南側の桐朋学園の方に行きます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)