※2023年6月撮影

トップ画像は、布田駅から南に約5~600mの「東京都指定指定史跡 狐塚古墳(下布田六号墳)」。

内容は以下です。一部略記しました。

ADVERTISEMENT

「狐塚古墳(下布田六号墳)は、多摩川中流域左岸に5世紀前半から7世紀前半に構築された下布田古墳群(円墳20基確認)の終末期に構築された大型円墳である。」

大きさは、墳丘径(周溝内径)44メートルという大きなもの。埋葬施設は、奥行き8.7メートルの半地下式の横穴式石室。副葬品は鉄製太刀3点や須恵器(すえき)、土師器(はじき)など。

「古墳時代の南武蔵の首長墓は、前期より一貫して多摩川下流域に構築されるが、後期後半になると下流域は首長権を失い、中流域へ移る。多摩川中流域には円墳の狐塚古墳が築かれた以降に上円下方墳などの特徴的な古墳が構築され、やがて府中に国府が置かれることと関連するものと考えられる。狐塚古墳は、多摩川の首長墓の変遷において古墳時代終末期の多摩川中流域における最初の首長墓であり、都内最大規模の円墳として重要である。

令和2年3月 建設 東京都教育委員会」

目の前の円形は直径10メートルほどで、とても44メートルという巨大な円墳全体とは思えません。

※2023年6月撮影

古墳を後にして「布田南通り」に戻って来ました。

※2023年6月撮影

更に南に歩きます。

※2023年6月撮影

「調布は映画の街」という看板にこの後調布駅で出会いますが、実は「日活調布撮影所」は布田駅の方が近いのです。筆者は、CMのプロデューサーだった時代にしばしば「日活調布撮影所」で撮影をしました。それでこの辺りは車で頻繁に通っていたのです。

「布田六丁目」の信号、方向的には左ですが、撮影所には右から行きます。先に見えているコンビニエンスストアに撮影中の食べ物や飲物を買いに来たものです。プロデューサーは現場を離れられないので制作進行(プロダクション・マネージャー)の頃ですが。

※2023年6月撮影

「染地一丁目」の信号まで来ました。「日活調布撮影所」はもうすぐです。

※2023年6月撮影

撮影所の巨大な「ステージ」(スタジオを撮影所ではこの様に呼んでいました)が見えました。

※2023年6月撮影

「染地二丁目」で「桜堤通り」に当たり、左折します。

※2023年6月撮影

先ほど見えた撮影所の大きなステージ。

※2023年6月撮影

懐かしいなぁ。

※2023年6月撮影

「日活調布撮影所」です。石原裕次郎さんや宍戸錠さんが活躍した時代から今に続いています。

※2023年6月撮影

全く迂闊(うかつ)でした。以前は「顔パス」で自由に出入りしていたのですが、考えてみれば30年も経っているのです。

守衛所で「経営自体が替わっていますから30年前の営業スタッフはもういませんよ」と笑われ「改めて正式に申請してから来て下さい」と言われました。

やれやれ。

布田駅まで約1kmの道のり、汗を拭きながら戻りました。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)